第22期予選時の投票状況です。20人より42票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
21 | 花を抱えて | るるるぶ☆どっぐちゃん | 5 |
13 | Antipodes | 市川 | 4 |
14 | ぼくのビンラディン | 朝野十字 | 4 |
22 | マジカル・マナ | 川島ケイ | 4 |
5 | 憎しみについて | でんでん | 3 |
8 | 遮断機越しに | 戸田一樹 | 3 |
10 | 夢 | 黒木りえ | 3 |
11 | 屏 | ユウ | 3 |
15 | 蟻 | 江口庸 | 3 |
20 | 「タイタニック」というお題で、陳腐ではない話をしろ | 妄言王 | 2 |
4 | (削除されました) | - | 1 |
6 | 壮大な風呂掃除 | Shou | 1 |
7 | 巨人 | 桑袋弾次 | 1 |
9 | 首狩大名 | 森栖流鐘 | 1 |
16 | 波のない海 | 神差計一郎 | 1 |
18 | 『移り木』の椅子 | 五月決算 | 1 |
23 | さまよい街 | 曠野反次郎 | 1 |
- | なし | 1 |
改めて読み返して、こちらも推薦。るるるぶ氏のいつもの作品だとあまり理解できないながらも「何故こんな文章がかけるのだろう」と感嘆するばかりだったのですが、今回はそのような目立った言葉の技みたいな部分は無いながらも、ものすごく短編小説らしい小説という印象であり、新鮮でした。(この票の参照用リンク)
「二人で暮らすようになると安酒にはとても耐えられなくなってしまった」に男の見栄を感じる。
今期、これしかピンとこなかった。
「タイタニック……」も面白かったが、投票となればちょっと溜めらう。(この票の参照用リンク)
高飛車な雰囲気と意外と弱そうな雰囲気が入り混じった中で、
色とりどりの花で飾り全て覆い隠そうとする彼女が素敵。
特にこの二つの文章がよいのです。ブラボーです。
「娼婦がセックスを嫌がっているのだから家にいても他にやることも無く、始終プランターに向かって水をぼたぼたと注ぎ続けている」
「旅行にでも行くか、と私が尋ねると、行っても良い、と女は答えた」(この票の参照用リンク)
無い袖は振れないが、多少あったところでやはり怖くて振れない。ともすれば滅びの役割を期待されがちな花との対比で、それより早くあっさりと金を使い切ってしまうあたりに、創作の醍醐味や役割といったものを感じさせてくれる、読んでいて元気の湧いてくる素晴らしい作品でした。(この票の参照用リンク)
これも同じやね。いやもうこういうのは資質やね。どうでもいい話だが小説家の資質があるということと、一般社会における日常生活でのこう、「いい人/わるい人」「有能な人/無能な人」とはゼンゼン関係なく、寧ろ、作家的資質なんて日常の市井の生活者には無駄邪魔な資質だろうがまあそういう話はおいておいて。この作品における男女には明らかな独立した個性というか人格というかそういうものが感じられる。だからダイアログが成立し、(形式的には対話でもその実態は作者という同一人格の代弁という)モノローグに堕していない。だからダイナミズムも生まれ、面白い。小説の基本といえば基本だが、最大の困難点といえば困難点ともいえる。
そういう「書き方の基本」以上に、話も美しい。タイトル『花を抱えて』であるが最初は女が花を抱えている。それがラスト【そうね、と女は答える。女の育てた花を見ながら、私達は料理を食べ始める。】とすることで今度はその花を男がなんかバトンタッチするみたいな感覚で抱えるというようなそういうニュアンスが伝わってくる。勿論、女を花に擬して、(擬して、まあその人生の同道者という意味での)「抱える」と意味的な感覚で捉えてもいいんだが、ってかそれが前提ではあるが、なんというか愛というかシンパシーというかそういった奇麗事で(言葉で)片付けて(表現して)しまいそうなそういうものを「花を抱える」(女が花を抱えている→次は僕がその花を抱える)という即物的な行動というか描写で表してしまうあたりがうまいし凄い。
才能開花といいたい。どっぐちゃん。(この票の参照用リンク)
今いるところではない場所を、次第次第に画用紙へ浮き上がらせてゆく行為。しかし、描けば描くほど、本来出現しなければならないはずの場所とは違うどこかが生まれてしまう。手を伸ばすほどに遠ざかる目標。描き出そうとする事がそもそも間違いなのか。
自分の感覚をありのままに形にしたい。その過程のもどかしさが素直に伝わる作品でした。(この票の参照用リンク)
喜びや悲しみについて、表現することに限らず、もっと広い範囲に当てはめて読めそうでもある。感覚は意識に容易に働きかけてくるが、意識を感覚にフィードバックしようというのは途方も無く難しい試みであり、それで私たちは千字以内の文章を綴るという単純な目的の元に、なんだか大袈裟なことを続けているのだろう。(この票の参照用リンク)
今期のイチ押しで、今作に賛嘆した。難解との声もあり、賛否は分かれるだろうか。作品の核にあるのは、絵を描くという手段によって捉えようとする世界=「ゆめ」をあるがままに感受したい、「ゆめ」と自分とを何の媒介もなしに接続してしまいたいという、むしろ素朴な願いではないかと、僕は読んだ。「ゆめ」を「眼球の表面で触れて、見る」とは、その願いの端的な表明だが、もちろん、そんな願いはいつも、「厚く見えないへだて」の前に挫折してしまうしかない。水にまみれるように、「ゆめ」にまみれてしまうことはできない。絵を描くという行為は、その「ゆめ」をとらえようとする行為でもあると同時に、自分と「ゆめ」が隔てられていることを、つねに意識させる行為でもある・・・「それでも、わたしは筆を持ち、その穂先の行き先を全身で探し続けねばならない」。この決意に似た言葉は、力強い。トーンは決して晦渋ではない。ひらがなを多用し、かつそのことに感傷を感じさせない文体は、詩的というよりむしろ童話的で、美しいと思う。触覚的なイメージの追求という意味では、今期の黒木作品(この小説も美しい)に通底しており、興味ぶかい・・・などと、作者の意図に反しているかもしれない勝手な解釈を連ねたけれど、これもひとつの解釈ゆえ、どうぞ許されたし。(この票の参照用リンク)
眼の裏側を対蹠地にたとえたのかな。
適度に句点を打ったほうが読みやすくなると思う。(この票の参照用リンク)
こんな感じが好き。(この票の参照用リンク)
饒舌に流れる言葉に浸れます。「ボク」が「香織」だというのは最初ちょっと引っかかりました。(この票の参照用リンク)
一人称が「ボク」の女子に出会った事は無いけれど。(この票の参照用リンク)
言葉のセンスがいい。まず題名からして圧倒、キャラ設定もよく落ちがちと、弱いような気もするが、それでも佳作。
↓お偉そうな意見だねぇ。こういうのを評論家気取・・・・(ry
編集者註: 上記の「↓」は、2004年5月26日 12時8分39秒の「なし」票を指しているものです。(この票の参照用リンク)
純粋に面白かったが、話の終わり方がややいいかげん。妙なペーソスが残ってしまった。(この票の参照用リンク)
自分の書いた感想を引き写してしまえと思ったら、何故かコピペが効かない。仕方がないので同じことをもう一度書くが、私の読みではこの博士とおっ母さんと主人公は家族であろう。そう読むと面白い。そんなことは何にも書かずに、色々想像してそう読める風に作ってある。違っているかも知れないけれども、私の空想をいたく刺激されたという点を評価する。(海)(この票の参照用リンク)
面白くなくはない、という消極的な票。こういうのは漫画やアニメ、ネットでやりつくされた感がある。だからダメってわけじゃないのだけれど。
アイデアだけで終わってしまったように思う。ちょっと変わった材料を川島ケイ風に(いつもと同じに)味付けた感じ。そりゃま、うまいのだけど、「あー、こうしちゃったか」というのが正直な感想。勢いだけで書いても良かったのでは?と。川島氏であればそれでも制御できるんじゃないでしょうか。
こういうのは「文学とは」とか「小説とは」と言っている人がブチ切れるぐらいじゃないと絶賛はできない(ちょっと暴言)。
まあ、あまり役に立たない意見だなあとは思いますが。(この票の参照用リンク)
私もお話を書いたりしますが、私の書けないものの一つに、この作品のようなものがあるような気がするので、単純にうらやましいです。
ウソなのに、ウンザリしている現実を淡々と語るような物言いと、実はマナ自身がこのマジカルな運命を少しは楽しんでいるのとが巧くマーブリングして頭の中で広がりました。
何故なのか、読み終わったあと、何かに納得していました。それが何なのか、また読みながら考えます。
(この票の参照用リンク)
最後に書かれた気持ちと感じた気持ちが一致していたので、こういうこともあるかなと思えたあたりに一票。(この票の参照用リンク)
何の脈絡もなしに思い出す、ってのがよいです。ずっと整理のつかない気がかりなこと、ありますよね。(この票の参照用リンク)
何の前触れも無くふと思い起こされる出来事、という、人生においてそれほど大事ではない事柄を、それ相応に淡々と綴ってあって、うんうん、と楽しく読めた。具体的なエピソードの部分は、憎しみというものも含めて、さほど重要なことではないように思えた。それよりも、笑い出すところや、憎悪が消える過程、後々思い出すという描写、そういった反応としての行動を描こうというのがこの作品のテーマだったのではないのかな。(この票の参照用リンク)
こんな言い方をするのは失礼に当たるかとも思うが、私の中では今期の新人賞である。以前読んだ覚えがあったが、どんなのだったかと思って記録に当たったら、七期に『無風状態』で参加されて以来である。
あの作品に比べれば充実いちじるしいものがある。実はこんな事を書くのも読者の勝手というもので、作者は案外、凡俗に理解されなかったので程度を下げたと思っているかも知れない。いずれにせよ、私は良いと思ったので、投票する。(海)(この票の参照用リンク)
寂れたような空気がいい。「自転車に乗ったセーラー服の高校生」「老婆と少年」と同じフレーズが繰り返し使われていて、それが空気を作っているように思う。遮断機の向こうはまた別の世界、ということでいいのかな? あっさりすっきりしていて、自分としてはちょうど良かった。(この票の参照用リンク)
西岸良平の短編漫画にありそうな情景。(この票の参照用リンク)
エッセイとして読んでもいいような作品だった。すくなくとも最後までは。しかし、最後の一文でひっくり返って小説になる。うまいなあ、と思う。うまいなあ、という以外になにかがあるわけではないのがちょっと難か。(この票の参照用リンク)
とにかく末文の美しさに惚れました、付き合ってください。
と戯けたことを冗談ではなく本気で言いたくなるぐらいに
メロメロであります。うん、色っぽいです。(この票の参照用リンク)
私の読みではこの話者は老女である。別に老いてなくてもいいが、この黒い塊とはたぶん死の象徴である。そう読むと腑に落ちるような気がする。
やはり私の想像に響きを与えたという点で投票するのだが、この空想に今一つ違和感を与えるのが、この話者の語りに妙に生気があるという点かも知れない。実際、ただの人がもうお迎えが来るなんていう時は大抵欲も得もなくてこんな濃密な語りを展開してる場合じゃないのである。けれどもまあ芸術の中に許される嘘というものだろう。(海)(この票の参照用リンク)
丁寧な印象の描写も、そこから最後の三行へ持ってゆく流れも鮮やかだった。(この票の参照用リンク)
純文学的な文章がいいですね。こうやって生き生きと風景を描けるのは、とても羨ましく思います。(この票の参照用リンク)
よいねえ。皮膚感というのかな。自我というものが観念的な視点からはこう、つかみ所のない魂めいた捉え方しか出来ないのに比して、即物的に言えば要は皮膚の内と外なんだよな。皮膚の内側が自分で外側が自分以外。そういった自己認識を極めて淡々と表現できている気がする。塀というモチーフがなにかそういった視点においての「達観した自我」から眺める「他者」として極めて冷静に語られる。他者性という言い方があるが、この場合の他者はかならずしも直截的に人間である、という必要はないように思う。今期、なんかグシャグシャの自我の延長めいた気色の悪い自我自我小説の多いなか、極めてさわやかな感じがした。塀そのものは寡黙であはあるが、これは主人公と塀とのポリフォニックな関係が成立していると思う。よい。かなりよい。(この票の参照用リンク)
読み始めはそれほどでもなかったが、読み進むうちに、物語のスピードに慣れるのか、とても楽しめた。毎回、これだけプロットが書けるなら、あとはセリフが書ければドラマのシナリオがどんどん出来そうだ。
話としては、さらに一展開ありそうなところで終わっていて、続きが読みたい。とはいえ、一つの作品としても、ある種の「悲哀」があってぐっとくる。あめ玉を踏みつぶす最後がとても良かった。こういうなんともいえない感覚を味わうことは、普通の小説でもなかなかない。
大人が書いているという感覚がとてもした。昔はみんな大人がお話をつくっていたけれども、いまではそういうものがほとんどなくなってしまったなあ、と、これは作品とは関係ない私の感慨です。(この票の参照用リンク)
「ここで蟻か」と驚き、ニヤリとさせられた。あめ玉を踏み潰すという行為に、決意と言うか意地と言うか、そういうものがあるように感じた。
弘志が何にもわかっていないキャラクターのように描かれているのが多少不満。「意識のどこかでは吾郎に利用されていることはわかっている」とそういう記述があればもっと好み。(この票の参照用リンク)
#15 蟻
面白い。今月のイチオシ。無職の弘志がやって来たあたりからドライブ急加速。そのまま最後まで突っ走った。蟻まで突き進んだのは感動した。 (この票の参照用リンク)
ありがちって言えばありがちなんだろうけど、確かにこの最後はかなり最低最悪です。(この票の参照用リンク)
新しさがそそる。このスタイルはもっといじれるはずだ。(この票の参照用リンク)
スクラップブックがピグミーからナルシーへ到着する辺り、メッセージはあまり感じなかったが(わからなかったのが正解だが)、面白いと思った。(この票の参照用リンク)
未完成っぽさがそそる。マジメなドタバタって感じ。もっとスケールの大きなカタストロフを持ってくると更によかった。(この票の参照用リンク)
二人の会話に隙がなく、描写も丁寧で世界の邪魔はしない。不条理さがたいへんおもしろかった。予選を通過してほしいし、ぜひ次回も投稿してほしい。(この票の参照用リンク)
面白かったです。首狩大名は最初ストレートな悪役かと思ったのですが、自分の首を切る喜びを知って最期を遂げた様は何だか恰好よく見えてきたのが不思議でした。(この票の参照用リンク)
映像先行型、というか読者の頭の中に景色を思い描けるよう
言葉のお手伝いをした後、
破綻をきたさず(ここ重要)静かに終わっていくのがよいです。格好いいです。(この票の参照用リンク)
お問い合わせ番号っていうのがいい。(この票の参照用リンク)
これも同じなのである。『屏』と。アレンジが随筆風か綺譚風かの違いで。ってかこれは極めて次元の低い話で、今期ほぼ「作者の自己紹介」的な気色悪い小説が続出の中で、そういうなんというか箱庭治療的な自己目的めいた変な小説が横行するなかで、この3作(屏、花、街)は別格という意味ね。この3作品を他作と分け隔てるその壁が「他者性の有無」である、という次元の話で、で、同じであると。
この作品の固有の魅力について語るなら、偏に『それはこれから訪ねるはずの彼自身に他ならず、おおいと呼び止めた彼の顔がひどく驚いて蒼褪めているほどだったのはなぜだかまるで解からない。』というミステリアス(不思議、の意。推理小説がミステリーと呼ばれるのは本来、神の御業、の意でその語幹は「神」と同系)な感じにある。そのミステリアス性を演出する迷路感覚が抑制の効いた描写で、且つ、適度に高揚というか切迫というか追い詰められていく感じが、実によい。ボリュームの調節というかズームアップというかそういう遠近感が非常によく出ている。私が、「平面から立体へ」と評したその真意はここにある。(この票の参照用リンク)
「自分だけが楽しい」作品も苦痛だが「自分も楽しくなさそうな」作品よりましかもしれないと思った。(この票の参照用リンク)