第22期 #18
某工房の窓際にある小さな椅子の値段を見て腰を抜かしそうになった。零が十六個も付いている上に先頭の数字が九だった。
「この椅子だけどうしてこんなに高いのですか?」
買うつもりもないのに聞いてみる。
「それは『移り木』という特殊な木で造ったものだからそれで適正価格だ」
白髪の店主は答える。
『移り木』なんて聞いたことがない。首を傾げていると店主は言った。
「もしかして『移り木』を知らんのか?」
「はい、不勉強なもので」
「夏は陰になる場所に、冬は日差しのある場所に手前移動する木のことを『移り木』というんだ。こいつがまた、気まぐれに移動するもんでなかなか捕まえることが出来ん。しかも、そいつで椅子を造ろうと思えば、樹齢五十年くらいは経ったものでないと材料にならん」
「はぁ、それはまた珍品で」
店主は家具造りの腕で名の知れた職人だった。その人の言葉なのだから、いちいち説得力がある。
「こうして居心地のいい場所に置いておかないと、椅子にしてもいつ何処に行くのか知れたもんじゃない。あんた、これが欲しいのか?」
とんでもない、と首を振ると急いで店を後にした。
数日後、やっぱり買えるわけではないが椅子のことが気になって店を覘いてみた。すると、先日の店主はおらず、中年の男性が店番をしていた。
件の椅子を眺めていると、彼がこちらを見ていた。
「それがお気にめしましたか?」
「材料が珍しいと聞いたもので見物に」
慌てて否定と弁解交じりに言い訳をした。
「材料はさほど珍しくはないですよ。ただ、非売品というだけのことです」
「この前、こちらの店主に『移り木』という特殊な木で出来ていると聞いたばかりなのですが」
すると「ああ」と呟いて彼は言った。
「『移り木』とは私の母が寝物語に話してくれた異世界へ自由に移動できる木、のことだと思います。『さぁ、今日は移り木に掴まって何処に行こうか』と始まる童話の題材で実在しませんよ」
「そうなんですか」
素直に非売品と書いておけば良いものを。そんなことを思ったときだった。
「これは母と約束したものなのだそうです。いつか自分のための椅子を造ってくれ、と」
「では、奥さんが使われたほうがよろしいのでは?」
「ええ。きっと父はここで母に自分の姿を見ていてもらいたいのでしょう」
驚いて振り返ると彼は言った。
「母は去年事故で」
だからなのか。十七桁の数字が宅急便伝票のお問い合わせ番号のように見えた。