第22期 #5

憎しみについて

 高校の卒業式の日、私は同じクラスの女の子から、奇妙な告白をされた。
「こんなことを言うからって、怒らないでね」その女の子―庄野さんとしておこう―は、廊下に出た私を前に、長いこと迷ったあげく、こう宣言した。「あたし、あなたのことが嫌いだったの。いやでいやでたまらなかった。あなたの声が聞こえてくるだけで席を立って叫びだしたくなるくらい、いやだったの。殺したいと思うくらい」
 こんなことをうち明けられた人間は、いったいどう振る舞えばいいのだろう? 相手が走り去っていくのを見送りながら、さしあたり私は、途方に暮れた時にとりあえずすることをやってみた。つまり笑い出した。帰宅する道すがら、私はずっとにやにや笑いを頬にはりつかせていた。
 怒りがこみあげてきたのは、その夜遅くなってからだ。
 いきなり人をつかまえて「憎んでいる」? 私が何をしたと言うんだ? それにあの口ぶり。「怒らないでね」と言ってこちらの怒りは封じこんでおきながら、自分の感情は容赦なくぶつけにかかる、汚いやり口・・・
 わかった、と私は呟いた。こっちだって憎んでやる。それでおあいこだ。

 だが、それでけりがついたわけではなかった。
 そのことに気づいたのは、それから二、三日が経ち、突然眠れなくなり始めた時だった。私は庄野さんの言葉や表情、しぐさを思い出し、あれはあれで彼女なりに悩んだ末の結論だったのだろう、と考え直した。あの時、庄野さんは詰問でもされたように、追いこまれ、切羽詰まっていた。そして自分自身の憎悪に怯えるように、始終震えていた・・・

 眠れない夜は一週間続いた。いつのまにか憎悪は消え、後には答えのない問いだけが残った。

 さて、今はと言うと、もちろん私は割り切っている。私は庄野さんに直接、不快に思われることを言ったりしたりした覚えはない。庄野さんは勝手に敵意をかきたてたのだ。さもなければ、何か誤解があった。どちらにしても私に責任はない。私に責任がないことについて、どうして思い煩う必要があるだろう?
 ただ、仕事でワープロを打っている最中や、食堂で昼食をとっている時、あるいは夜更け、友達と長電話をした後で受話器を置いた瞬間、突然、何の脈絡もなしに、庄野さんの声や言葉をはっきり思い出すことがある。そういう時には、ちょっと立ち止まるように、その意味を考えてみる。誰かが自分を殺したいほど憎むということの意味を、考えてみる。



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