第93期予選時の投票状況です。11人より30票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
9 | 傷の話 | でんでん | 4 |
18 | 月留学 | 立川雪 | 3 |
28 | 動く物を食べる | えぬじぃ | 3 |
6 | 明日はそんなに晴れじゃなかった | くわず | 2 |
17 | みえないナイフ | 山羊 | 2 |
20 | 時空蕎麦 | 笹帽子 | 2 |
23 | スーパードライ | 宇加谷 研一郎 | 2 |
24 | できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに | euReka | 2 |
2 | あの娘のシューズ | 中崎 信幸 | 1 |
3 | 『天井裏の散歩者』 | 石川楡井 | 1 |
4 | 貧と富の心の狭間で… | 大荒 清統 | 1 |
7 | まだ逢えないあなたへ | 近江舞子 | 1 |
10 | いらっしゃいませ | 岩砂塵 | 1 |
11 | カンナの日記 | 金武宗基 | 1 |
13 | 前がみの人 | 香椎むく | 1 |
14 | 星果録『真愛』の項 | 彼岸堂 | 1 |
22 | そらみみ | 高橋唯 | 1 |
25 | 気になること | 篤間仁 | 1 |
森の部族はまさに未知や神秘の象徴で、出会ってから主人公の現実は夢との境界がなくなり、やがて夢が現実に取って代わる。これは主人公の世界の変化とみていいと思う。落ち着いた筆致は切迫していないようだった。
気になるのは、はじめに傷をつけた女といえば母親じゃないのか、という疑問があって、それが(おそらく)破れた初恋になっているところを考えると、これをある共通語のように扱っているのかなと考えられるところ。
恋愛ではないかもしれないけれど、僕は恋愛ととらえているので、印象が少し軽くなってしまったのが不満でした。(この票の参照用リンク)
私はどうも批評言語で小説の感想を書ける頭の持ち主ではないので、つたない読書感想文になってしまう。その点、作者に申し訳ないな、と思う。
この小説を読んで――と思わず書いてから気づいたのだが、この「短編」を読んでとも、この「作品」とも書かずに、無意識のうちに「この小説」と使っていることが、なんだか私にはこの小説の自分内評価が最高に高いことを意味しているように思える。そうだ、この「傷の話」は私にとって、短編とくくるには惜しい広がりと深さがある話になっている。それはもう小説と読んでしっくりくる手応えなのだ。これが1000字であることを忘れる。
どこがいいのか? 難しいな。根本的なところだけ、無責任に書かせてもらうと、この「小説」に対する作者の取り組む姿勢が好きだ! というところだろうか。こんな理由ではやっぱり作者に納得してもらえないか?
この話は、心の傷をもつ「僕」が、その傷を自分の生活範囲で向き合うにはあまりに耐え切れなくて、放浪している話だと読んだ。個人的に生活空間で向き合うには重過ぎる問題も、移動しながら、その逃避を通じてならば少しずつ向き合っていけるのではないか、という「僕」の声みたいなものが、なんとなく冒頭の森を抜けたという記述から伝わってくる。
私が作者の作品に対する姿勢が好きだ! と思ったのは、この作品が上記のようなあらすじを補足するための化学式を書くように創られていないところだ。こうしたら読者はこう思うだろうとか、ああやったらかっこいいかな、流行っぽいな、という、或る程度の読み手なら見透かしてしまうようなイヤラシサがない。それは誤解されるような悪い表現をつかうと、作者が、ちゃんと不器用な誠実さを残している、ということでもある。
たしかに作者は練られた表現を使うし、描写も的確だ。でも、私は、本当に奇妙な出来事ならむしろ小説より現実に起こる、と思っている。小手先のロジック、意表をつく展開なんてどうでもよい。この作品の、実は不器用なくらいなストレートさがいい。傷をもった僕のところに傷をつける話、その晩に傷をつけた原因の女がでてくる――この流れはストレートすぎる。だから、実は文芸サイトではこの点で評価されないのではないか?
……だから好きだ! といったら作者はやっぱり侮辱ととるだろうか。もしも侮辱ととられるならば、残念としかいえない。でも、作者自身が本当に主人公と同じような傷を持っているのかはともかく、主人公「僕」のそばにいて、主人公と一緒になって、(今後、僕<たち>はどうやって、この傷を治していこうか?)と答えを探そうとしている。タイミングはよすぎるが、主人公の求めに対して、作者は精一杯、この主人公を救うために準備をしていく。傷をつけた村人の話をこしらえ、その夜に主人公が本当は一番会いたかった相手に会えるように、それができるだけ普遍的な形で読み手に納得できるように精一杯の仕組みをつかって、最後に再会させている。その作る手際に作者の体温をかんじる。
僕はこの、作者が主人公を最後には救わなければという姿勢。しかし、普遍性ということを考えて、可能な限りの劇を用意して読者にも受け入れられるよう配慮しながら、主人公と読者の間にたって物語をつくっていこうという姿勢。ちゃんと作者が自分のつくりだした人物たちに責任をとろうとしている。1000字だからといって、サジをなげていない。これは大事だと思うのだ。この姿勢があってこそ、次の段階、単純から複雑へ、が開けてくると私は思っている。
初期の金井美恵子の小説は、書いていることは難解だ。でも実は、その難解な、読み手を迷路にまよわせるうねる文体の奥に、何も知らない純粋な少女のような素朴な愛情だとか感性がベースにある。その難解さだけ、知性的な部分だけに気をとられると、金井美恵子を理解できない。荒川洋治もしかり。彼の詩はほとんどわけがわからない。だが……その詩の奥にあるものは。
ひとつ不満をあげると、これはここに書くことではないが、作者の村上春樹に対する批判である。わかりやすい? 陳腐? ……でも、そうだとすればバルザックの小説のほとんどは昼ドラになり、ドストエフスキーは冗長なサスペンス、谷崎潤一郎はただのフェチ作家、開高健はジャーナリストまがい、ブローティガンは甘えん坊、ヘミングウェイは2流のナルシスト、プルーストはたれながしの日記、ということにならないだろうか。私は村上春樹だけが好きではないし、というか、私も「好き」ではないのだけども、作者の村上春樹批判の文面が、ちょっと創作の姿勢としてポイントがそこなのか? プロットの単純複雑が決めてになってるのか? 大切なのは「思い」ではないのか? あとの肉付けの部分は作者の個性でどうにでもなる、と私は日頃から考えているので、ちょっとぶつけてみた。もちろん、これは私論ですよ。つぶやきレベルの。(この票の参照用リンク)
こういうわかりそうでわからない隠喩を固めて、御伽噺のようにした小説に惹かれる。
セリフをカギカッコを使わずに表現する技法も好み。(この票の参照用リンク)
顔に傷をもつ者たちという設定が巧く生かされていないのが気にかかるところで、怪奇の土台となる現実の部分がしっかりしていないので、怪奇が上滑りしている感もある。だがそれでも文章の安定感(推敲の余地はあるが)と的確さ。恐怖小説の定石を踏まえているところなどは評価でき、今回投稿された怪談系作品の中では最も出来がいい。(この票の参照用リンク)
うむ。(この票の参照用リンク)
この小説はどこにも現実感がない。すべてふわふわしている。だからこそいいと思えた。
楽しい夢のような話で、細かなところに茶々を入れるのがためらわれるような。教訓や説教くささがまったくない童話のようなところがよかった。(この票の参照用リンク)
素直なことを素直に書いたという印象。回りくどくて辟易させられることもなく、直球すぎてサムくなることもなく、読後感がさっぱりしていて非常に良い。
たらい回され具合が楽しい。「そして僕の親友ではなくなった。」「鈴がなるような言葉だった。」という文もグッド。
ただし文章の粗はまだまだある。精度を上げられる部分もある。ここは次回に期待。(この票の参照用リンク)
音楽家が芸術家や宗教家ではなく職人だった時期の音楽のような感覚。うまくまとまっている。(この票の参照用リンク)
3つ目は迷った。
その結果これにする。まず文章が非常に読みやすい。さらさら繋がって、最後まで淀みなく物語が展開していく。書き慣れてるかんじ。「動く食べ物」というテーマも個人的に面白かった。ただし最後がいくぶん弱い。
しかし、主人公の姿がリアルに伝わって来たのは今期一番だった。
ちなみに他に迷った作品としては、#8 #10 #15 #20 #26 がありました。(この票の参照用リンク)
生存衝動がある。共通しているのは、euReka 様の世界の駆動力じゃないか? と、感じた。「できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに」……は、とても1千字では書けない世界を構成している。えぬじぃ様は、未来のある瞬間を見せる。……作品になっているので、推薦する。
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理解しがたいのに腑に落ちる、不思議な読後感。(この票の参照用リンク)
高橋唯さんが、対立する二項のコントラストをくっきり際立たせることで語りのダイナミズムを引きだしているのだとしたら、くわずさんはむしろ、対蹠的な位置にあると言える。くわずさんの小説の主人公は、対立するさまざまな二項が溶け合い、お互いを侵犯し、ぐちゃぐちゃに混ざり合った曖昧な世界を生きようとしている。
彼女が一歩を踏み出すたびに、この世界に引かれたあらゆる境界が、ひとつひとつ溶け崩れ始める。善と悪の境目が溶け出す。物同士(携帯電話とヒール)の区別がつかなくなる。ヒールを介して他者と私の境界がとび越えられ、妄想の母親が現実を侵食し、過去が現在に混入し、電話の向こうの音声が遠近を無視していく。この荒唐無稽なカーニバル、「境界とりはずしごっこ」の中では、生と死の区別さえ特権視されることはない。
だが、本当に心を揺さぶる展開は、その先にある。
まるでジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』みたいに、はちゃめちゃな喧騒をくぐり抜けて帰宅した後、主人公はだしぬけに「そう言えば轢かれ人埋め忘れたな」と気づく。
「何だかとてつもなく申し訳ない心地になり、居ても立ってもいられず、もう動かない人を埋めるうまい方法がないか、ゆうちゃんに訊こうと携帯電話を探す。」
このアモルフな・底の抜けた世界にあってなお、死んだ人間は埋葬されるべきだ、しかるべく遇されるべきだ。そんなぎりぎりの倫理が持ちこたえられている、と僕は読む。そして読みようによっては陰惨と受けとられかねないこの小説に、不思議と明るい光を感じるのである。
深読み? そうかもしれないとも思う。「人を轢いておいてうまい埋め方とか言うなボケっ」というのが、正しい読み方かもしれない、とも。しかし、そういう深読みを許容するだけの大きさが、この小説にあることは間違いないと思う。…というわけで、今期一押しである。(でんでん)
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ほう。(この票の参照用リンク)
一回で終わりまで、すとんと、読めた
始まりから、終わりまで、よくわかる小説。……で、いいのだが。
男の魅力、女の絶望、どちらかに偏って書いても良かったのではないだろうか?(この票の参照用リンク)
落語のあれを思い起こさせるのは個人的にはマイナスだったけど、まあ楽しかった。
あとは#8と#9で迷った。8は跳ねた表現が面白かったものの完成度の面でもう少しがんばってほしいと思った。9は完成度は高いもののちゃんとし過ぎていて面白みが半減しているように感じた。我侭なことこの上ないね。(この票の参照用リンク)
「歓喜の歌」で脳裏に浮かぶ画がすごい威力。何度も笑った。するする読ませる中に緩急があったためか。妄想挿入も雰囲気を崩さずなだらか。締めも収束というより次に向かう感じで、読後感も内容にぴったり。(この票の参照用リンク)
この小説はだけまくらになることを目指しているのだろうか。
余談。宇加谷さんの小説は長く読んできたが、小説以外の文章は、最近になってやっと読むようになった。結果、思った以上に「作者に対するイメージ」が作品を読むときに影響を与えていることに気付かされた。興味深い。(この票の参照用リンク)
かなり肩に力が入った感がある92期『海辺の六助』から一転、大きく息をつくようなゆとり、のびやかさを、語りに感じた。単純な和声に乗ってユーモラスに語られる、ほとんどモーツァルト的と呼びたくなるような、長調の悲歌。岡本敬三の短編集『根府川へ』を思い出したりした。
宇加谷的一人称には、さりげない、しかしはっとさせられるような深い悲しみが、一瞬、閃くことがある。最近、この作者の27期『二十歳のテープ』を読み返し、不覚にも泣いた。かつてこの小説を正当に評価することができなかった自分を嘲りつつ、今作を推す。(でんでん)(この票の参照用リンク)
タイトルと電車のシーンが大好きです。大好きだとしか言えません。感情的に投票します。(この票の参照用リンク)
戦闘→セックス→みんなで歌いましょう、というお祭り騒ぎ。魅力のある場面を継ぎつつもスピードを損ねていない。含みを持たせつつも、世界が小さくまとめられているよう。
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中学か、小学校の、夏休み前の、六月の倦怠感を思い出させるような、
ばかばかしさと、楽しくなった。読後感に、満足した。
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最後の段落が少しパンチ不足というのも分かる気がしたが、僕はこのくらいが一番よいと思った。怖さがいらないというわけではなくて、この程度の描写が、この1000文字においては、もっとも効果的な恐怖を醸し出している。途中まで読んで、この老婆が……と思うと、どことなく嫌な気分を味わったが、ちょうどよい落とし所が用意されていて、ほう、これは、と思った。
言葉ひとつとっても、「面白い小説の書き方」というのを主観(個性)と客観の両方のバランスにおいてきちんと掌握している印象を受けた。
あと、流し読みをしてるとうっかり忘れそうになるが、最初の二行の蟷螂の描写が良い。(この票の参照用リンク)
社会の抱える矛盾に対して素直に向き合っている。その姿勢が良いと思った。
不平等の問題を助長しているのは、他者に対する無知と無関心である、というメッセージが伝わってきた。(この票の参照用リンク)
「傷の話」の感想でちょっと時間がなくなってしまって申し訳ない、時間がありません。
ただ、「傷の話」の推薦理由とほぼ同じ理由で投票します。私にはとてもいい作品だった。
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行頭一時空けの法則性のなさや、突飛な舞台設定をしなくても、墓地の正面にあるコンビニとかにすればよかったんじゃないのかとか、気になる部分はある。だがそれでも読後感がよかった。
なんとなく徳川慶喜の墓所を調べてみたら、ちゃんと谷中霊園とされていて、ますますこの話に好感がもてた。
(この票の参照用リンク)
うむ。(この票の参照用リンク)
髪には生気が宿る。それは怪奇小説では至極まっとうな理論である。魂の籠った人形の髪は伸び、幽霊はいつも決まって長い髪を垂らしているのである。詳細については『黒髪に恨みは深く -髪の毛ホラー傑作選-』を参照のこと。
さて、筒井康隆氏の短編『母子像』が怪奇小説でもあり家族小説でもあり、極めて上質な恋愛小説であるのと同じように、本作はSFのガジェットを用いながらも落ち着くところは恋愛小説である。(本家本元も恋愛小説であるかもしれないがそれはさておき)
透明人間という題材は今となっては古めかしいものでるが、髪を残したのがおもしろい。そして何より透明人間を語る上で欠かせぬ、衣服や食事への言及も(若干の都合のよさはあれど)実にさらりと書かれているのも嬉しい。おそらく作者は本来青春文学の書き手であり、本作はその延長線上に位置しているのかもしれないが、既存のガジェットを用いて斬新な作品を紡ぐという手法に秀でているとも見れる。無論、本作だけではそうと言い切れないので次回作も期待。(この票の参照用リンク)
作者には直接言ってしまったのでここでも言及するが、実に雑な作品である。『静かの海条約』、“太陽系合同政府”など、これ以上広げることも無粋なネーミング。しかしその荒唐無稽さがいい。理論的なものばかりがSFではない。伝奇小説のエッセンスを加味しながらスペースオペラを描く、しかしその実体は『ヒト』が『ヒト』である故の愛情小説というアンバランスさもまた無碍なるものか。『ヒト』というネーミング、最後の台詞など、投げやりさが悪い方向に出ている部分も見えるが、理論をかなぐり捨てど読むものを引きつける散文は、作者の意図と反していようが自分は素直に愉しめた。(この票の参照用リンク)
『明日はそんなに晴れじゃなかった』と『スーパードライ』は、読後早々に投票を決めていたが、残り一作に何を選ぶかはさんざん悩んだ。結局、手がたく書かれた今作に票を入れることにする。
小説の中に対立物を導入し、そのコントラストが生むダイナミズムを原動力に語りを進めていく作者の手つきは、あざといほど明快である。「日光をやわらかく反射し」た水面、「幼い掌を太陽に手を伸べるかのよう」な稲、静穏そのものの田園風景が、末尾、「無数の掌に引きずり込まれるようにして」太陽を沈ませ、「青灰色の闇」を垂れこめさせる。開始と終局、対立を際立たせるこの二つの場面を架橋するように物語る間も、作者は次々に新しい二項対立を放りこむことを忘れない。「格調」と「劣悪」。メールや電話で親密に語りかけてくる声と、心の中のどす黒い嫌悪。「ふわふわでまあるい」仔猫と、その仔猫に向けて一閃する暴力。
この小説にたった一つ不満があるとすれば、「猫を殺す物語」はすでにクリシェになり下がってしまっているのではないか? ということに尽きる。
92期の石川楡井さんの『綺羅』と同様、猫の殺害がエスカレートする殺戮の端緒になったり、やり場を失った殺意のはけ口になったりする物語/言説を、僕たちはもうすでに(例の酒鬼薔薇事件以降、特に、)数多く語り・聞かされてきたのではないだろうか。(でんでん)(この票の参照用リンク)
日常の熱や、その先にある空しさのようなものを、互いに赦しあい、優しくつつみこむような、感じがした。(この票の参照用リンク)