第93期 #6

明日はそんなに晴れじゃなかった

 ふぁごふ、なんて言うから何ごとかと思ったら、人を轢いたのだった。
 人轢きが善いことなのか悪いことなのか頭が判断する前に、脱げた右足のヒールをシートの下に探そうと屈むと眩暈がした。眩暈だけは善くないことだと即座に判断するも、脳の揺れが治まるのを目を瞑って待ちながら、手探りで何か掴んだと思いきや、ヒールではなく携帯電話だった。
 これも何かの縁と、ゆうちゃんに電話をかける。ゆうちゃんは今頃、居酒屋のバイトで一番忙しい時間帯だろう。
「もうかけてくんなッつッたろがクソアマッッ」
 人轢いたんだからクソアマ呼ばわりもしようがないか、と思っているところを見ると私はどうやら人轢きを悪と認識しているようだった。ゆうちゃんの罵声の背後から漏れていた見知らぬ誰か達の賑わいが耳に残る。俄然揺れに揺れる私の脳の中で、賑わいは旋律になり、感じるはずのない人いきれが夜冷えに晒された頬を少し上気させる。
 クソアマックッソアマッ、と鼻歌雑じりに車外に出てみると、轢かれ人のヒールがショッキンググリーンでいかにも私好みだったので、相変わらず見つからない私の右足ヒールの代わりに頂戴することにした。
 不意に、故郷の母から電話があって「浩正叔父さんが亡くなったのよ」と訃報を受ける、という想像をしてみる。浩正叔父さんの思い出と言えば、小学二年の時に尻を五秒間ほど触られたことと、左手中指が欠けていたことだけだ。それでも悲しむべきだろうかとぐずぐずしていると、母はもう次の話題へ移り「家の近所に汚ねぇババァのブティックができて」などと話し出す。「そんなブティック燃しちゃえ」などと妄想母を唆していると、いつの間にか自宅のあるアパートに着いている。ドアの前に立っていると、もう自分は死んでいるのではないかという疑いが競り上がってくる。けれど私の脳内に生えた、自己死人像の原始想念は、でもそこから少しずれてやはり脳の内側で文字になる。その少しのずれによって、私は本日最も白けてしまう。白けついでに「あら、私ったらもう死んでいるのかしらん」と声に出してみると、姿の見えない野良猫が「なあん」と返事をする。
 家を出る前に沸かしてあった風呂に浸かりながら、そう言えば轢かれ人埋め忘れたな、と気づく。何だかとてつもなく申し訳ない心地になり、居ても立ってもいられず、もう動かない人を埋めるうまい方法がないか、ゆうちゃんに訊こうと携帯電話を探す。



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