第93期 #5

言い訳

彼の名前は矢村守――二十六歳、独身。
 時間は午前十時三十分
 守は、会社へ出勤するために電車に乗っていた
 
電車内は通勤ラッシュの満員状態……には程遠く閑散としていた
 「まいったな――五日連続で遅刻しちまうなんて。」
 守は五日連続で座って出勤している自分に呆れつつ独り言を呟いた
 「昨日、部長と約束しちまったからなぁ……今日、遅刻したら辞表を出しますって」
 鬼の様な形相の部長とのやり取りを思い出しながら窓から天空を昇りつつある太陽を睨めつけてみたりした
 タッタッタッ……革靴の底面から音が響く――守は自分でも気がつかないうちに右足で貧乏ゆすりをしていた
 「何か――何か、良い言い訳はないか?」
 腕を組みながら脳味噌の中にある引き出しをつぎつぎに開いていった
 タッタッタッタッタッ――右足で取るリズムが早くなる
 「目覚まし時計が壊れしまいまして……あぁ、こりゃ一日目に使ったな――。」
 右手の親指を数え折りながら次の引き出しを開いた……
 「電車が渋滞に巻き込まれまして――」
 「強風の向かい風に出会いまして――」
 「夢の中で仕事をしていました――」
 「ウィッキーさんに捕まり英会話をしていました――」
 「ウィッキーさんが……ウィッキーさんで……ウィッキーさんと……」
 「――いやいや、ウィッキーさんに拘り過ぎだろ俺?。」
 守は「ぶるん、ぶるん」と、頭を右へ左へと何度も振った
 「何か――何か上手い言い訳がある筈だ」
 タッタッタッタッタッタッタッタッ――更にリズムが加速する
 そして、奇跡の引き出しが開かれた――
 「……ん! これだ! この言い訳なら部長どころか全人類が納得するぞっ!」
 守は「最高の言い訳」を思いつき興奮気味に貧乏ゆすりを最大加速させた
 タッタッタッタッタッタッタッタッタッ!
 右足は残像を残し音速を超え……次の瞬間――光速を超えた
 そして、時間が逆転した。
 
彼の名前は矢村守――二十六歳、独身。
 時間は午前十時三十分
 守は、会社へ出勤するために電車に乗っていた。



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