投票参照

第93期予選時の、#6明日はそんなに晴れじゃなかった(くわず)への投票です(2票)。

2010年6月30日 22時31分47秒

理解しがたいのに腑に落ちる、不思議な読後感。

参照用リンク: #date20100630-223147

2010年6月22日 20時57分44秒

 高橋唯さんが、対立する二項のコントラストをくっきり際立たせることで語りのダイナミズムを引きだしているのだとしたら、くわずさんはむしろ、対蹠的な位置にあると言える。くわずさんの小説の主人公は、対立するさまざまな二項が溶け合い、お互いを侵犯し、ぐちゃぐちゃに混ざり合った曖昧な世界を生きようとしている。
 彼女が一歩を踏み出すたびに、この世界に引かれたあらゆる境界が、ひとつひとつ溶け崩れ始める。善と悪の境目が溶け出す。物同士(携帯電話とヒール)の区別がつかなくなる。ヒールを介して他者と私の境界がとび越えられ、妄想の母親が現実を侵食し、過去が現在に混入し、電話の向こうの音声が遠近を無視していく。この荒唐無稽なカーニバル、「境界とりはずしごっこ」の中では、生と死の区別さえ特権視されることはない。
 だが、本当に心を揺さぶる展開は、その先にある。
 まるでジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』みたいに、はちゃめちゃな喧騒をくぐり抜けて帰宅した後、主人公はだしぬけに「そう言えば轢かれ人埋め忘れたな」と気づく。
「何だかとてつもなく申し訳ない心地になり、居ても立ってもいられず、もう動かない人を埋めるうまい方法がないか、ゆうちゃんに訊こうと携帯電話を探す。」
 このアモルフな・底の抜けた世界にあってなお、死んだ人間は埋葬されるべきだ、しかるべく遇されるべきだ。そんなぎりぎりの倫理が持ちこたえられている、と僕は読む。そして読みようによっては陰惨と受けとられかねないこの小説に、不思議と明るい光を感じるのである。
 深読み? そうかもしれないとも思う。「人を轢いておいてうまい埋め方とか言うなボケっ」というのが、正しい読み方かもしれない、とも。しかし、そういう深読みを許容するだけの大きさが、この小説にあることは間違いないと思う。…というわけで、今期一押しである。(でんでん)

参照用リンク: #date20100622-205744


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