第93期 #23

スーパードライ

 あなたの顔も言葉も文章も、のっぺらぼうみたい、人間性に深みがない――ということを言われて、僕と彼女の関係は終わってしまった。何も言い返せなかった自分はいわれたとおり。うすっぺらなのさ。

 彼女は職場の女上司だった。これからどんな顔をして一緒に仕事をすればいいんだろう、と僕が思い悩んでいるのに、上司は素っ気無くシラフでいて、そのうち転職が決っていたらしく、五月の連休あけにはさっさと会社をやめて行ってしまった。前からうちの会社がいかにブラック企業であるかを話しあっていた。彼女は宣言どおり転職し、僕は残る。仕事は猿の剥製のセールスマンだが、今どきそんなの売れやしないんだ。

 梅雨入りしても、僕は立ち直れずに夜ごと飲みにでた。のっぺらぼうと言われるくらいだから、飲んでも顔に感情は出ない。空気のようにただ飲んでいると、時々横に座った誰かが酔いにまかせて話をしてくる。僕は頷きながら聞いているのだが、彼らは気分が大きくなって

「いい人だ」

と握手を求めてきたりする。一日だけなら、いい人になることは簡単だ。

 その日はワインを飲んでいた。ブルゴーニュのピノ・ノワール。繊細で防御が硬そうなのに、そんな知的な味を裏切るかのようなぎゅっと密集した酸味がある。そこに気付いたとたん、虜になった。
 
 カウンター席の隣に外国人の女が座って、生ビールを注文した。何杯も何杯も彼女は生ビールを注文しては飲み干していく。照明に反射する眩しい金髪に青い瞳。引き締まったウエストとよくのびた長い足。彼女にはビールは似合っていないと思った僕は、なんだか感情的に

「ビールなんか、のっぺらぼうだ」

とおもわず言ってしまった。

「のっぺら?」

 青い瞳から涙が出ていることに気がついた。彼女の流す涙には音がなくて、濡れているのにどこまでもドライだった。ビールを涙に変えるために飲んでいるみたいだった。バーテンダーは黙ってジョッキのお代わりを彼女の前におく。僕は、僕もビール、と叫んだ。

「かんぱい?」

 青い瞳から涙がとまらないまま、マジメくさった表情の彼女と僕はジョッキをゴツンとぶつけて乾杯した。僕も彼女もおかわりを続けた。

「わいん、おいしい。でも、わいんはわいんとしてかんせいしてます、びーるは、にほんのびーるは、だけまくらのよう、です」

「抱き枕?」

「だけまくら」

 どうして抱き枕なんて言葉知ってんのと笑って聞いた、彼女はやっと笑顔をみせた。



Copyright © 2010 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編