第75期予選時の投票状況です。11人より28票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
18 | 擬装☆少女 千字一時物語42 | 黒田皐月 | 4 |
23 | 背中 | K | 4 |
16 | 世界の死 | euReka | 3 |
10 | Air-Complex | 腹心 | 2 |
13 | 梨葬 | qbc | 2 |
21 | 1000字でわかる(ような気がする)日本の歴史 | さいたま わたる | 2 |
28 | ファズ | るるるぶ☆どっぐちゃん | 2 |
1 | 死亡記事 | アンデッド | 1 |
3 | 東京タワー | 暮林琴里 | 1 |
4 | 僕の天使 | のい | 1 |
5 | 第75期投稿作品 | くわず | 1 |
14 | 指の夢 | クマの子 | 1 |
17 | 雪 | わら | 1 |
25 | 古井戸で | エルグザード | 1 |
26 | ミソスープの香り | えぬじぃ | 1 |
27 | 森の中のゾンビちゃん | 西直 | 1 |
母親との会話の光景を本物のマッチ売りの少女が窓から見てそう。(この票の参照用リンク)
「女の子の格好をした少年を、母親がそれとなく受け入れる」というのがおおまかな骨の部分だとすれば、この小説の魅力は骨にあるのではなく、その肉づきにある。暖炉がよかった。鵞鳥がよかった。マッチがいい。
これらの小道具のセンスの良さが、この小説の底辺にながれている奇妙な倒錯感のアクをみごとにすくっている。外国の古いおとぎ話をひさしぶりに読んでいるような雰囲気のなかに、少年の姿をかりた年上の男の、強い女装願望がむらむらと漂っているのだが、それが脂くさくなるどころか、読み手を和ませている。これはすごいことだ。
たとえば、もしもおじさんが若い女から「スカートだけじゃ足が寒いから、そういうときはストッキングをはくものよ」と言われている小説を読んだとする。そうすると、私は強い違和感をおぼえる。そんな「若い女」、都合よすぎるからだ。つまり、この作品で使われているセリフは、普通の作家がつかえば作者の首をしめることになりかねないものばかりである。
「ほらほら。女の人は体を冷やしちゃダメなんだから、無理はしないでね」
このセリフも女性が男性に言っていると考えると、それを普通に読ませるどころか、ここに感動があって、おまけにコメディーとしても笑えてしまう。なんとすごい技術だろう。
最後に、セリフのながれが気持ちいい。唐組の芝居みたいだ。「私の家で鵞鳥を食べていきませんか?」の一文、母が子に言ってるのに、どうしてこれほど淫靡なんだろう。その秘密を教えてもらいたい。
(この票の参照用リンク)
「ハッピーマート事件」も面白かったが、こちらの方が文章が安定している気がする。
(この票の参照用リンク)
この作品も情景が美しい。女性に対する憧れと現実の落差などがきちんと描写されているのがいい。季節物にはどうも評価が甘くしてしまうような気がするが、これは文句なしによかった。(この票の参照用リンク)
"すこしの間みょうな高揚を感じていた" → "少しのあいだ妙な高揚を感じていた" のほうが読みやすいような気がしますが、まあ好みの問題ですね。(この票の参照用リンク)
拝読させていただきました。
構成バランスといい、流れるような筆運びといい、そうとう書き慣れた方ですね。普通では躊躇われるような書き方も、違和感なく読み進めることができました。ただ改行や読点や類義語の使用で、より完成度を深める余地があるように思えます。
ねちっこくて、どこか筒井康孝を思わせる文体が、思わぬほどしっくり来て、物語の雰囲気にぴったりです。場の空気を醸し出すのにとても効果的でした。おかげで茂昭さんの寝室での一幕に立ち会っている気分に浸れ、面白かったです。(この票の参照用リンク)
満員電車の部分が他と比べていびつさを持つように思えたが、倦怠感というものをそれの特徴とも言える一様に漂っている感じで描いていることは上手いと思う。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
もちろん冒頭の子泣き爺のエピソードも好きである。主人公自身さえ気づいていない生活の疲れのようなものが、ふと子泣き爺となって早朝に思い出される……みごとだ。そうして新聞、破綻企業、満員電車と、自身の生活への疲労が、自分の住む社会全体の疲労へと移り変わっていって、子泣き爺の重みはさらにさらに増していく。ついには「体調を崩しているのかもしれない」と自覚するにまで至る。
……ここまでだって、今期の作品群のなかで、一番、小説が小説として光っている。今期の「第75期投稿作品」は描写として、とても見事であったけれども、描かれているものには自分を棚上げした倦怠と悪意しか感じられなかった。それに比べてこの「背中」が描いている倦怠は、「倦怠感」であって、主人公の実感がある。自分の疲れが最初にあって、それが新聞を通して社会そのものへの幻滅とつながっていく。
しかし、この小説がすごいのはなんといっても「でんぐりがえり」である。この「でんぐりがえり」は作者にとって会心の発見ではなかっただろうか。
……この「でんぐりがえり」への感想は決勝コメントで述べたい。あるいはこの「背中」に評が集まらなかったとしたら、むしろ「世の中のずっと先を歩いている作品である」とも思う。優れた作品を優れていると認められない人に未来はない。
どっちにしてもこの作品を書くレベルの作者には投票結果云々はどうでもいいことだろう。書いて出す、ことが大事である、くらいの認識の持ち主でないと、「でんぐりがえり」は生れてこなかっただろう。傑作のあとの次回作は駄作になりがちなものだが、野球選手の打率ではないが、ぜひとも駄作でも書いていただきたい。
こうした作者の発見に立ち会えることが、読み手として最も幸福である。
(この票の参照用リンク)
拝読させていただきました。
分類するなら、ファンタジーに属するのでしょうか。
私はファンタジーが苦手でした。普段から読まないよう心がけてきましたし、できれば避けて通りたい分野でした。
なぜかというと、作者の脳内イメージが文章で伝わりきらないからなのです。例えば、魔王降臨と一口に言ったとします。しかし受け取る側しだいで千差万別の情景が思い浮かべられてしまいます。それこそが小説の醍醐味ではありますが、反面そんな些細な具現化のすれ違いから最終的には何メートルも隔たった結果に辿り着いたりします。小説を精読するとは、出来得るかぎり作者の目線に近づいてゆく作業で、それこそが作品を味わい尽くすことだと信じています。ときとして作者の意図としない味に出会うこともあり、感想を聞かされた作者がいちばんびっくりしたり。それも楽しみの一つかもしれません。ファンタジーについての前置きが脱線してしまいましたが、このジャンルへの苦手意識を過去形にしてくれたといいたかったのです。ファンタジーだって書き方しだいでリアリストを納得させることができるんだなって教えられました。なにか無性にファンタジーが書きたくなりました。創作モチベーションを強く刺激されました。
長さ的には、短編以上のものを切り取り、または間を端折った感じを受けました。それにもかかわらず違和感がないのは構成の妙だと感心しました。挿入されているたとえ話も、ピッタリはまるジグソーパズルの如くしっとりと着地して、雰囲気作りに一役買ってくれています。
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世界が、破滅とは遠いこんな感じで死んでくれれば良いと思えた。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
情景が心に迫ってくる。表現が上手いのか、イメージが自然と浮かんでくるのに感心した。文章も読みやすい。夢を見る機械、森の奥のリス、世界の死、などの一つ一つの小道具の扱い方もよかった。(この票の参照用リンク)
駄洒落と隠喩で構成されている話だが、駄洒落の出来がよく何度もにやりとさせられてしまった。挿入されている隠喩も心地よい。(この票の参照用リンク)
エアコンは、air conditioner だからこれは擬人化されたエアコンの話じゃないよ!! 俺の失恋話だよ!!! 俺をエアコンに擬電化製品化させているんだよ!!!! 友人にオンナを寝取られたんだよ!!!! という話かと思う。ダジャレで地球温暖化に歯止めをかけようとするエコな作品(ちがいます)。悲しみを可笑しみに変換させて何とかどうか、というかんじが面白い。(この票の参照用リンク)
「不謹慎」はお前もだ、と声を大にして言いたい。あと梨葬がなんて発音されたかが気になった。(この票の参照用リンク)
これと比べられる作品はいくつかあったが、やっぱり文体のリズムとか、会話が決め手だろうか。飛びぬけてよかった感じはしない
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虚実のバランスと言葉のテンポがよかったです。(この票の参照用リンク)
アホか。書いてて楽しそうなのが羨ましい。(この票の参照用リンク)
「ファンキーな音楽は時代によって違うからな」に思わず納得したので。(この票の参照用リンク)
「イカした服が欲しい。燃やしたい。」のところを読んだ時点で、8割方この作品に投票することは決めていた。
他に投票したい作品がなかったので直感に従って投票します。(この票の参照用リンク)
作者が登場するや否やいきなり死亡記事でお茶吹いた。しかも「アンデット」さんwニュース原稿調って、1000字にぴったり収まるなあという点に感心した。サウロンや冥王星など作者がこっそりと楽しんでいる感が伝わってきて楽しめた。(この票の参照用リンク)
淡々と語っているから強い印象を受けるのではないが、作品から言葉を借りれば「タイヤからシューッと空気が抜けていく」ような、感じるところのあるものにできていると思った。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
投稿はしておりましたが、投票ははじめてさせていただきます。
この短編を読み始めたのも、ここ数ヶ月ですので、作家さん個人の作風などは理解しておりませんから、まったくの私の好き嫌いから選考させてもらいました。
掲示板や個人ブログで全作品の批評をなされている方もおられますが、私はそのような器ではごさいませんのでこの投票に代えさせていただきます。
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書かれてある内容は、『主人公がカフェで女と待ち合わせ、女が来る』ということだけで、あとはすべて圧倒的な描写で埋め尽くされている。筋ではなく(必要以上に過剰な)描写を楽しむ作品かしら。眠さで店内が傾いたり、周囲の喧騒に戦争を想起したり、コップを握る指が芋虫に見えたりと面白かった。カフェでs子を待つ、というだけの話でも描写で1000字くらい楽勝で書けるんだよ、という事実をわが身を呈して示し、描写の貧しい「第75期投稿作品」への痛烈な批判を込めた作品であるというのが題名になっているのだと思う(ちがうか)。(この票の参照用リンク)
こういうシュールな話としては、少ないが必要最小限のパーツで、読む人をひっぱって行く力があった。母親への言及は中途半端だった。
やっぱり女の子なのか…(この票の参照用リンク)
一言で書いてしまうと、文体がひきしまっている。この作品の魅力の第一は、この文体だと思うのだが、文体の魅力を説明することは難しい。それは作者の魅力を語るようなものだからだ。
妻が死んで意気消沈の男が比叡山に幻想を追いにいくという筋だけみれば、「短編」には似たような話がやまほどある。読者兼書き手の多くは、そのようなストーリー中心の話には飽きてしまっている。「無理矢理感動させない点がいい」という感想が多いことからそれがわかる。
しかし、ストーリーのある話がつまらないのではなく、それを書く作者が力不足なのだ。物語の骨格がきちんとしている話は、本当は面白い。この作品「雪」は、本当はとても甘いストーリーなのであるが、その感傷部分を作者の硬質な文体がしっかりと支えている。読んでいる時間は1000字なので、ほんの少しのはずなのだが、この話に流れている小説の時間というものが、まるで私をも雪山に旅立たせ、そのヒバゴンというものを見たような気がしているから不思議だ。小説というものはこんなに面白かったのか、と思った。
(この票の参照用リンク)
投稿はしておりましたが、投票ははじめてさせていただきます。
この短編を読み始めたのも、ここ数ヶ月ですので、作家さん個人の作風などは理解しておりませんから、まったくの私の好き嫌いから選考させてもらいました。
掲示板や個人ブログで全作品の批評をなされている方もおられますが、私はそのような器ではごさいませんのでこの投票に代えさせていただきます。
(この票の参照用リンク)
投稿はしておりましたが、投票ははじめてさせていただきます。
この短編を読み始めたのも、ここ数ヶ月ですので、作家さん個人の作風などは理解しておりませんから、まったくの私の好き嫌いから選考させてもらいました。
掲示板や個人ブログで全作品の批評をなされている方もおられますが、私はそのような器ではごさいませんのでこの投票に代えさせていただきます。
(この票の参照用リンク)
これはもう好みで。(この票の参照用リンク)