第75期 #21

1000字でわかる(ような気がする)日本の歴史

始は混沌あるいは曖昧模糊とした泥の沼。原始の民は、その泥を捏ね、縄目で文様を模り器とし、縄文時代を作った(北海道は寒くて米が取れず、従って縄もなかったため長らく空白の時代が続いた)。三月となって弥生という時代が、どこからともなく稲作とともにやってくる。あれ? さっき米がなかったから縄がどうのこうの言っていなかったっけ、まあいいか。その頃中国は春秋戦国という戦乱の時代、負け戦のルミン、ハイニン、スケトウダラなどが大挙して海を渡り、現地人を肉体的に吸収、原日本人の容となった。さっそく故郷を真似て、中央集権国家をヤマトに作った。その場所は、九州男子は九州にあったといい、京大の先生は近畿にあったとお互いに言い張るので、とても埒が明かない。だがしかしここで大切なのは、まずショートクタイシが島国根性を策定し、続いてテンヂテンム兄弟がなんとはなしに政権交代の流れを作った、ということだ。次の時代のヨリトモは、何ともいい国を作ったのだがまるで長続きせず、元の侵攻をカミガミがわざわざ直々に葬り去らねばならなかったほどであった。アシカガ・ニッタ・クスノキは桃園(三重県)にて義兄弟の契りをかわすも互いに裏切りあい、三権はいよいよ分裂した。やがて都を制したアシカガの子孫キンカク・ギンカクは、京の民すべての名を呼びつくし権勢を誇ったが、ナゴヤの英雄ノブナガの野望により、逆に縊り殺されてしまった(たしかウグイス嬢もろとも)。そのノブナガはアケチにアケチはコゴローにコゴローはトーキチローにトーキチローはミツナリにミツナリはコバヤカワに互いに殺し殺されあい、さいごにようやくトクガワがショーグンとなって、安定した国家が形成されるに至った。その後の日本はなんとかしばらく(だいたい十五代ぐらい)とてもよい時代が続いた。それもこれもすべては、サコクとウキヨエのお陰だという。しかしアツヒメが高視聴率を獲得すると同時に維新が起こり、メイジとなった以降、その国土はアメリカイギリスロシアフランスモロモロの列強にばらばらに切り刻まれ、一旦はデュークとトーゴーとヘイハチローが奪還に成功したものの、二千六百五年八月ついに日本はアメリカに屈し、その長きに渡る歴史に幕を下ろした。ただ国土は失っても日本人は死なず、イチロー(ヘイハチローの長男)やダイスケ、ハナコらは海を渡り、今でもそこそこ結構な活躍をしているということである。



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