投票参照

第75期予選時の、#23背中(K)への投票です(4票)。

2008年12月31日 0時58分5秒

"すこしの間みょうな高揚を感じていた" → "少しのあいだ妙な高揚を感じていた" のほうが読みやすいような気がしますが、まあ好みの問題ですね。

参照用リンク: #date20081231-005805

2008年12月30日 22時47分46秒

拝読させていただきました。
構成バランスといい、流れるような筆運びといい、そうとう書き慣れた方ですね。普通では躊躇われるような書き方も、違和感なく読み進めることができました。ただ改行や読点や類義語の使用で、より完成度を深める余地があるように思えます。
ねちっこくて、どこか筒井康孝を思わせる文体が、思わぬほどしっくり来て、物語の雰囲気にぴったりです。場の空気を醸し出すのにとても効果的でした。おかげで茂昭さんの寝室での一幕に立ち会っている気分に浸れ、面白かったです。

参照用リンク: #date20081230-224746

2008年12月27日 23時58分45秒

 満員電車の部分が他と比べていびつさを持つように思えたが、倦怠感というものをそれの特徴とも言える一様に漂っている感じで描いていることは上手いと思う。(黒田皐月)

参照用リンク: #date20081227-235845

2008年12月25日 15時29分45秒

 もちろん冒頭の子泣き爺のエピソードも好きである。主人公自身さえ気づいていない生活の疲れのようなものが、ふと子泣き爺となって早朝に思い出される……みごとだ。そうして新聞、破綻企業、満員電車と、自身の生活への疲労が、自分の住む社会全体の疲労へと移り変わっていって、子泣き爺の重みはさらにさらに増していく。ついには「体調を崩しているのかもしれない」と自覚するにまで至る。

……ここまでだって、今期の作品群のなかで、一番、小説が小説として光っている。今期の「第75期投稿作品」は描写として、とても見事であったけれども、描かれているものには自分を棚上げした倦怠と悪意しか感じられなかった。それに比べてこの「背中」が描いている倦怠は、「倦怠感」であって、主人公の実感がある。自分の疲れが最初にあって、それが新聞を通して社会そのものへの幻滅とつながっていく。

しかし、この小説がすごいのはなんといっても「でんぐりがえり」である。この「でんぐりがえり」は作者にとって会心の発見ではなかっただろうか。

……この「でんぐりがえり」への感想は決勝コメントで述べたい。あるいはこの「背中」に評が集まらなかったとしたら、むしろ「世の中のずっと先を歩いている作品である」とも思う。優れた作品を優れていると認められない人に未来はない。

どっちにしてもこの作品を書くレベルの作者には投票結果云々はどうでもいいことだろう。書いて出す、ことが大事である、くらいの認識の持ち主でないと、「でんぐりがえり」は生れてこなかっただろう。傑作のあとの次回作は駄作になりがちなものだが、野球選手の打率ではないが、ぜひとも駄作でも書いていただきたい。

こうした作者の発見に立ち会えることが、読み手として最も幸福である。

参照用リンク: #date20081225-152945


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