第26期予選時の投票状況です。19人より36票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
12 | ありくいさん | 巻 | 6 |
9 | 氷を渡る | でんでん | 3 |
15 | パフェ・バニラ | 川島ケイ | 3 |
17 | 泡 | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 3 |
21 | 風船葛 | 市川 | 3 |
5 | うんどう会はユウウツ | とむOK | 2 |
8 | 白亜の夕暮 | 黒木りえ | 2 |
11 | 読書する、森に入る | 三浦 | 2 |
18 | hallelujah | 川野直己 | 2 |
25 | ワイヤー | るるるぶ☆どっぐちゃん | 2 |
2 | ゾウのパレード | 安南みつ豆 | 1 |
6 | 繋がってんだ | コティー | 1 |
13 | 魔法の矢 | 神崎 隼 | 1 |
14 | パラサイト | 江口庸 | 1 |
20 | 難病少女vs.難題女 | 朝野十字 | 1 |
26 | どん詰まり | くわず | 1 |
27 | 最終列車を待ちながら | 曠野反次郎 | 1 |
- | なし | 1 |
よい具合にふくらんでいると思います。
ふくらんで、こわれるそぶりを見せないのもいい。
「ありくいさん」というのがまたいい。
懐かしい感じがします。教育テレビの粘度細工の小話。(この票の参照用リンク)
まんべんなくユーモアをまぶし、かわいらしくほのぼのした雰囲気を盛りたてるために、少しだけ毒味を混ぜること、グロテスクさや悪意を加味することが効果的だと、この作者の作品(前作といい今作といい)を読んであらためて気づかされる。口吻をのばし、長い舌で蟻をからめとるありくいは、処理の仕方によっては十分不気味にもなりうるだろう。これが猫やウサギなら絶対に今作のような味は出ず、かといってやりすぎれば意図したほのぼの感は台なしになるわけで、つまりは匙加減がすべてを決するが、その意味でセンスがある。ありくいそのものの描写もさることながら、ありくいの去った後、生垣にすき間ができている、とか、そこから隣の家のふたごの娘のたて笛がもれてくる、といったあたりの描写、隙がない。上手い。つるんと一口で飲みこめてしまうようなこの口当たりのよさを快いと思う人もいるだろうし、まあ僕のように、かえってあざといかな、などとあまのじゃくなことを感じる人もいるだろう(いや、後者は僕だけか)。しかしともあれ、手際のよさに感心。それから、「後出し」のようでずるい言い方だけれど、前作も上手いと思いましたよ。(でんでん)(この票の参照用リンク)
単純に、いいなぁと思った。(この票の参照用リンク)
『短編』の歴史の中にもおそらく「動物もの」とでも称すべき一群があって、私ももう少しやる気があれば調べ上げて黒木さんの掲示板に報告するところだけれども、つまりペンギンとかくもざるとかカンガルーとか何とかそういう手の生き物が、当然のように人語を語りながらわけ知り顔で登場する。
この作品もそんな種類だが、アリクイが蟻を食いに来るというある意味もっともな状況で、安直さ、阿呆らしさが少ない。食う食われるという動物の基本的な営みを取り上げて、感傷的でなく、冷たくもなくさらりと描いているのもよい。どこか川上弘美のような雰囲気も感じられた。(海)(この票の参照用リンク)
内容を考えると別に心暖まるような出来事ではないはずなのだが、読み終わってほっとするようなところがあって面白かった。無理に強い印象を出そうと気張らなかったような感じ。
他にもいくつかいい作品はあったが、それぞれちょっとずつ気になるところがあって三つに絞るのが難しそうだったので、今回は一つで。(この票の参照用リンク)
気負った感じがしなくてよかった。(この票の参照用リンク)
読んで損はない。
「氷を渡る」「膝」「泡」「難病少女vs.難題女」 から
僕と君と観客が、ぜんぶ皆が他人として描かれているので、感情移入することなくすらりと読める。 映画を見ているようで情景が捉えやすい。 主役の少女が最後に取った行動は、どちらかというと嫉妬ですね。 集団のなかでの自分のポジションを変えたくないという、保守的な心情が働いたからゆえの行動でしょうが、 それをそっと後押しするのは、そんな心を踏み散らかして「渡ってしまえよ」と言ってしまえる、彼の前向きさでしょう。 保守的な心情への自己嫌悪と、彼への競争心からくる嫉妬です。 「あなたにこれができる?」と、彼ができそうにない事をやってみたくなったんだろうなぁ。(めだか) (この票の参照用リンク)
池の周囲の観客と一緒になって、固唾を飲んで展開を見守り
ラストシーンに、あっと言わされました。登場人物の複雑に
入り組んだ感情も、いちいち頷けてしまって圧巻でした。
上等の推理小説を味わったような読了感に一票。(この票の参照用リンク)
「きみ」がすごく嫌な女に映ったんですが、解釈間違ってんでしょうか。それともこれが「女の魔性」というやつか。或いは「僕」は裏切られることを承知の上で「きみ」に声援を送ったのか。或いは「僕」も「きみ」と同じく「無口で地味な」存在だからそのような行動に出たのか。
とか勝手に考えながら一票投じます。(この票の参照用リンク)
るるるぶさんとはまた違った意味で「何でこういう話が書けるのだろう」とたびたび思うのですが、それはともかくほのぼのとなごみました。チョコワッフル食べてみたい。(この票の参照用リンク)
面白かった。平和な情景に和んだ。(この票の参照用リンク)
好きです。こういう空気。とてもなつかしい感じを覚えました。
読み終わった後に、なんとなくしあわせな気持ちになれました。
ありがとう。(この票の参照用リンク)
「振ったら飛び出す」というフレーズ。
炭酸水という個。
出来事を文章にする際の描き方。
炭酸水、再び飲まれましたでしょうか?(この票の参照用リンク)
真剣に読めばいいのか笑えばいいのか分からない、そのギリギリのところを進んでいく危うさがよかったのですが、作者が恥ずかしくなったのか、不安になったのか、最後で妙なオチがついてしまった。もったいなく思います。(この票の参照用リンク)
> この年になって炭酸飲料を溢れさせるとは思わなかったが
作者は何歳だろうか。(この票の参照用リンク)
「短編」で感想を書く時には、ここにもこんな良い作品がありますよ、と読み手に呼びかけるようなスタンスで書きたいと思っていたし、いろいろな書き手の、あまり省みられることのない側面に着目したいとも考えていただけに、同じ作者に繰り返し票を投じるのは、内心ちょっと忸怩たる思いがある。それでも今作に一票を、と決めたのは、この作者が前三作よりさらに一段レベルアップしたかと感じたから。
前作で見せた視点の自在さは、今作ではもっと控えめに、しかし高いレベルで駆使されている。冒頭、あの皮膚感覚に密着するような描写に始まり、踏切の音を介して聴覚が対位法のように交差する。もっぱらこの二つをよりどころに歩き進められていた描写が、とつぜん、たった今目を見開いたように、「信号機の赤色」に出会う、その鮮やかさは鳥肌ものである。しかしそういった描写を難なく繰り広げた上で、作者はなおその先に、時間と空間を遠く見はるかす場所に立とうとする。「今に私の左手なしに好きなところへ歩きだすのだ」、という魅力的な節回しにこめられる感慨、あるいは「それだけの年月が、この子の先にあるのだろうか」、というふとした呟きが、この夜の空間を、もっと広く長い空間と時間の一点としてとらえなおす・・・ 見事です。感動しました。
やけっぱちなことをついでに言えば、こういう小説を読むたびに、太刀打ちできねえなあ、と思う。でもまあ、おのれの非力を嘆いても仕方ない。凡人は凡人なりの努力を積み重ねるだけじゃ。(でんでん)
(この票の参照用リンク)
「ん?」と首をひねりたくなるような文章も多々あるのですが、それでもなんとなく感じ入ってしまうのは、読解を超えて感覚に訴えかけてくる力が文章にあるからでしょう。
ふいに現れる子供にハッとしました。(この票の参照用リンク)
薬包紙を折ったことはないけれど、オブラートを食べるのが好きだった。(この票の参照用リンク)
不覚にも「ヤマセン」に笑っちゃったので推させてもらいます。
それだけじゃあんまりなので、以下感想。
子供側の視点から書いた、舌たらずな作品は数あれど、合間に
「たおれたやつは、もうもどってこれない」とか「ホウシャノウ」
という、どきっとさせられるような言葉が織り込まれていて、
漠然とした不安感(うんどう会の前日に抱いたような)を
感じさせられました。
もう1歩踏み込んだオチがついたら、よりよい短編になるか
とも思いましたが。(この票の参照用リンク)
椎名誠の「雨がやんだら」みたいで好きなので一票。○○を思わせるってのは本当はダメなのかもしれないけど、真似ではないので。(この票の参照用リンク)
さて。SFである。それもタイムスリップものである。
恐竜とか怪獣ものは無性に好き。この作品はとても良い。
まず温度と湿度を感じる。雨なのに裸で歩いても寒くないどころか蒸している。聞いたことのない鳴き声が聞こえる。たぶん嗅いだことがない匂いもしているのだろう。
五感を刺激され、そしてこのお話の後に膨らみを持たせてくれる。良い作品だ。(この票の参照用リンク)
繰り返して読むと、だんだんおもしろくなってくる。
(この票の参照用リンク)
これこそ、うまく繋がっているなあと思った。
(この票の参照用リンク)
すごくいいと思うのだが、私の語彙のなさの所為でそれを巧く表現出来そうにない。
大変静謐で、身の冷えるような快感、という感じですかね。(この票の参照用リンク)
好き嫌いはあると思うが。
「白亜の夕暮れ」「ありくいさん」「パフェ・バニラ」「hallelujah」 から(この票の参照用リンク)
色々な読み方のできるお話で楽しかったし、何よりも表現力が素晴らしい。(この票の参照用リンク)
世界が美しいかは分からないけれど、この小説世界は十分に美しい。小説と詩の境目にあるような、その繊細さが、るるるぶさんの作品の魅力だと思います。(この票の参照用リンク)
私的な読解を試みると、この作品の背景には、じっとしていてもありとあらゆる雑多な情報が押し寄せてくる今日の状況があって、盲目とか耳が聞こえないというのはそれらをうまく遮断できているということなんだろうと思う。創作活動のためには、知らねばならない事柄も多いが、一方で塞ぐことも必要とおもえる。
そしてそのような画一化された情報であふれかえっている世界は、「美しくない」。それが感動を狙って仕掛けられたものなら、なおさらである。冬ソナやらセカチューやらを考えればよい。(海)(この票の参照用リンク)
これは「安南みつ豆論」になってしまうが、この作者の原理は「他者の発見」と言ってみたい。他者とはむろん幼児のことである。作者そのひとの息子がその原形となっているであろうことはどちらかと言えば余計な事柄であって、一般に幼児というものが、ふつう我々大人が住んでいるのとはちがった言語世界に住んでいるということが本質的に重要なのである。この作品でいえば「ハルキ」が繰り返し口にする「ゾウタ」その他の言葉によって、まるで魔法の呪文のようにもう一つ別の世界が開かれていくかの観がある。退屈な日常に馴れた私たちの感覚が、それによって新鮮に驚かされる。(海)(この票の参照用リンク)
散文詩のようにみえるので「短編」での評価は高くないだろうと思うが、26期ではこの作品を一番に推す。
人の世界は何によって成り立つかといえば、思考と、他者の存在の認識の二つだと思う。何もない空間に思考せず他者の存在も認識できない者がいた場合、その者の内に人の世界は存在するかと問われれば、私はNOと答える。ヒドラに人の営みが理解できるかという質問とさほど変わりは無い。『繋がってんだ』の主人公には”お前”しかいないが、そのことはそのまま世界への繋がりに結びつき、且つ、主人公は繋がりを渇望している。この欲望自体、ひどく素朴なものではあるが、今期に人間らしいものを描いている作品はこれだけであり、今期のどの作品よりも読後の充実感を得た作品だった。
良い感性をお持ちのようなので、出来れば次回は得票につながる形の作品を投稿して頂きたいと思う。(この票の参照用リンク)
最後の台詞から察せられる、性格の悪さが良い。(この票の参照用リンク)
いつもながら身も蓋もない描写というか叙述がツボに入りました。「義男には理解できない考え」とか「母は花粉症だった」とか。(この票の参照用リンク)
正直なところ、朝野十字がこのようなほのぼのとした気持ちの良い作品を書くとは思っていなかった。(この票の参照用リンク)
ずっと見ないようにして来た希望に気を許した途端入り込んだ絶望と何にもならない事を知りながらもすまんすまんと肌を合わせる。
こういう虚しい話が好きです。(この票の参照用リンク)
横光利一の「機械」を思わせる書き出しが好きで一票。(この票の参照用リンク)
いつまでも胸に残るネーミングやフレーズを考えてみる。
「ゾウタ」や「はるちー」は残らない。
話の筋を全部忘れてしまってもそれだけは強烈に覚えているような力強いワンフレーズに短編で出会いたい。(この票の参照用リンク)