第26期 #21

風船葛

 曲り道は夜に浸されていた。コンクリートが濡れているのか乾いているのかよくわからなかった。夜風は十分に湿っていて、それは雨上がりの匂いではなく、梅雨どきの夜に似ていた。細かな水滴が腕や顔の皮膚に吸い付くようにして、私はその道を大股で歩く。虫も鳥も鳴かない。
 水戸線は単線で、一つ隣りの駅で「交換のための待ち合わせ」をする。4両の遅い電車が黄色の光と共に行ってしまったあと、7分そこで待っていれば逆行きの電車のための踏切が鳴る。普段よりも鈍い、鐘の響くような音。振幅の広い男の人の声。私はときどきかしこまる。だから逆行きの音は聞かないし、今まで歩いていて、逆行きの踏切と電車の音を背中から聞いたことはない。家に帰れば、二階のベランダに出るか、トイレの窓からでも、ガタガタ走り行く音が聞けた。
 糸を交差させたように、道程に唯一横たわった国道、夜になると増えるトラックの音がずっと続いていて、レールを伝って行く金属塊の跳ねる音を聞くと、気分は束の間の休憩のように、渦巻きの内耳はそのときばかり張り切った。その唯一の信号待ちの、直前に落ちていた空き缶の縁が、信号機の赤色を、ぱちんと切ったつめの形、そのくらいの大きさに絞り集めて、何かに語りかけていた。私は語りかけられ、ぷいっと視線を逸らして、傍らの金網に巻き付いたフウセンカズラの、まだ乾かない実に触れた。空気を含んだ種のうはやわらかく、緑色の表面は産毛を纏って、飽和するほど水滴の浮いた夜の中で、驚くほどさらりとしていた。こんなふうならいいなと思う。秋になれば茶色く乾いて、ハート模様のかわいらしい種を3つ。
 私は振り向いた。きっぱりと体を逆に向けた。

 左手の小さな指は、私の人差し指と中指を握って、一歩ごとに引っ張るように歩く。靴が好きで、靴下の好きなめずらしい子は、今に私の左手なしに好きなところへ歩きだすのだ。
 彼女の左手にはフウセンカズラが蔦ごと引きずられていて、駅に着いたら、電車を待つ間に中身の種を出させ、蔓は何とか諦めてもらわなければならない。昔広告で折った、縦折りと横折りしかない種包みを思いだす。それが折り紙の「ふうせん」になり、薬包紙を折るようになる、それだけの年月が、この子の先にあるのだろうか。私は薬包紙を折るのが好きだけれど、彼女もそうとは限らない。
 種のうの中で、それは踊る。種に良く似た小さな黒い目が、小さな駅を見据える。



Copyright © 2004 市川 / 編集: 短編