第26期 #13

魔法の矢

 弓を手にした、一人の男が森を歩いていた。その森には、狙った獲物を必ず射抜く矢を人間に齎す、悪魔が住んでいると言われていた。
 森の奥へと歩を進め、暫く経って気がつくと、辺りは深い霧に包まれていた。その霧から、男は体に纏わりつく様な嫌な感じを受けた。
「何の用だ?」突然、声が響いてきた。それは、どこから聞こえてきたのか解らない、まるで森その物の声の様な不思議な物だった。
「百発百中の魔法の矢をくれる、悪魔がいると聞いてきた。あんたか?」
「そうだ。何本、必要だ? 本数が多ければ、それなりの代償を払って貰うがな」
「そうだな。一本で充分だ」男は最初からその答えを用意していたのか、そう即答した。
「人間にしては、随分と欲が無いな」
「仕事で、仕留めなければならない獲物がいるんだが、そいつがなかなか人間の前に姿を現さなくてね。あんたのくれる矢は……。そうだな。例えば、俺の背後の木を射抜く事もできるんだろ?」男は挑発するかの様に不敵な笑みを浮かべ、右手の親指で背後を指し示した。
「無論だ。心配ならば、試してみるが良かろう。特別に、代償は無しだ」そう悪魔の声が聞こえると、男の目の前に一本の矢が落ちてきた。
「それは、助かる」男は笑みを浮かべると、矢を拾った。
「さて、ちゃんと当るかね?」男は矢を弓につがえると、ゆっくりと弓を引き絞った。そして、そのまま、微動だにしなくなった。
「どうした?」痺れを切らしたのか、悪魔の声がした。
 それがきっかけか、男は矢を放った。その矢は真っ直ぐに飛んだかと思うと、突然、ありえない方向に曲がった。そして、男の右手の方に消えると同時に、矢が何かに突き刺さる音がした。
「きさま、騙したな?」暫くの間の後、悪魔の声がした。だが、今度はそれがどこから発せられたのか、男には解った。その悪魔の声は、矢が消えた方から聞こえてきた。
「例え話を勝手に勘違いして、人聞きの悪い事を言わないで貰いたいな」男は呆れた様に答えた。
「しかし、本当にあんたの矢は凄いな。見た事も無い、俺に話しかけた物なんて曖昧な標的でも、必ず当るんだからな」男は矢が消えた方向を見ると、そう感心した様に言った。
 が、その答えに、悪魔は何も反応しなかった。ふと、男は霧が晴れている事に気づいた。
「今回の仕事は、楽だったな。まぁ、姿も現せない臆病者だったし、この程度かもな」男はそう呟くと、軽く肩を竦ませた。



Copyright © 2004 神崎 隼 / 編集: 短編