第50期予選時の投票状況です。14人より28票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
19 | 蟲 | ヒモロギ | 3 |
21 | 愛唱歌 | 三浦 | 3 |
25 | 蝶と蜻蛉と蟻 | 海坂他人 | 3 |
30 | ちーちゃん | 曠野反次郎 | 3 |
3 | 私達は湖を眺めていた | 美鈴 | 2 |
4 | 新しい季節 | 熊の子 | 2 |
20 | 遠くを見つめる | 長月夕子 | 2 |
24 | 猿は女を乗せて浅草へ向かう | 宇加谷 研一郎 | 2 |
26 | ことばくずれ | もぐら | 2 |
29 | エキストラ | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 2 |
1 | 六月 | 木下絵理夏 | 1 |
14 | Hack show on! Gefoge for... | Revin | 1 |
23 | 神無月の夜 | アレ | 1 |
27 | お茶と光のパレード | qbc | 1 |
とても残酷で悲しい物語を、全編に渡ってコミカルさでコーティングしている。このコミカル部分は作者の照れ隠しなのかもしれない。それでも隠し切れない叙情性が返って心を惹きます。(この票の参照用リンク)
ミクシィの使い方がうまいなあと思った。(この票の参照用リンク)
いつも上から順に読んでいくのですが、この『蟲』を読み終えて、その後に読む自分の書いたもののゴミのように見えること。
どうしてこんなに情報の詰め込み方がうまいんでしょう。きれいな工芸品のよう。(三浦)(この票の参照用リンク)
愉しげでよいなと思いました。(この票の参照用リンク)
見た目がとてもきれい。(この票の参照用リンク)
最初の一文からぐっと引き込まれ、寡黙で奇妙な動きをするウェルギリウスに笑い、美しい歌に感動するラストまですらすらと連なっていて、ああこれは一筆書きじゃないか、と納得。難しいことを考えずに絵を見るように楽しめました。(この票の参照用リンク)
蜻蛉を作者自身、蟻を世間や社会として読むと、ラストの一行がとても恐ろしい。
一見地味で、枯れた作品のようだが、自らの内側にある虚無を封じ込めた壮絶な作品であると思う。(この票の参照用リンク)
>確かにまだ息があるようである。
本当の「虫の息」というやつでしょうか。この観察力には敵わないと思いました。(この票の参照用リンク)
なかなか身の回りのことを観察する眼が養われずに自分にがっかりすることが多いので、参考になった。(この票の参照用リンク)
多分、この作品は関西弁だから好いのだという訳ではなく、たとえば西関東方言に置き換えたとしても成り立つとは思う。他に、この会話の心地よさが何に由来しているのか、巧く説明はできないけれど。(この票の参照用リンク)
ちょっと状況に解せない点があったのですが、
――語り手の母親「よし子」が入院した、それで語り手は今は一人で暮らしていると、しかし「一人暮しに逆戻り」というのは、以前も一人暮らししたことがあったのかなあとちょっと引っかかりました。
しかしこの関西弁の会話がひたすら心地よかったです。なんだかじゃりん子チエを連想してしまったのですけど、あれよりは愛嬌があって可愛らしい感じ。ちなみに阿部和重の芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』で、主人公は自分の娘をロリコン的に愛してしまうのですが、それがまた「ちーちゃん」。そういう話ではこれはもちろんないですけど。(海)(この票の参照用リンク)
何ひとつ特異なことはない風景。宇宙が見えたと言うことで浮遊感のようなものを憶えましたが、しかし決して文章が浮いているのではなくて、きちんと風景は連続していると思いました。
その両立は簡単には成し得ないと、感服しました。(黒田皐月)
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何か(心?)を獣で表現しているが、抽象的過ぎる。また、亭主と彼の関係(同一人物?)も分かりづらい。
しかし、短編でありながら、全体的に詩的な文章で読みやすかった。
今後も期待しています。(この票の参照用リンク)
とても読みやすく、そしてひとつひとつの言葉を噛み締めるように味わうことができました。おもしろかったです!(この票の参照用リンク)
自分の作品もエントリーされておりますが、
客観的に読んでみて、これが好きでした。
出来れば、季節を秋口にして欲しかったけれど、
小手先では表せない、家族に対する優しさが溢れていて
心が温かくなりました。(この票の参照用リンク)
「父親」としての父親しか知らない子供がその父親の違う面を知る時の驚きが、丁寧に描かれてしっかり表現されていると思いました。こういう内容がしっかり表現できるというのはすごいことだと思います。
父親を独立した一人の人間として実感できない子供にとって、母親の慌てぶりや先生の労りの言葉がどこか他人事のように感じるという描写は素晴らしいです。(三浦)(この票の参照用リンク)
サマンサタバサ。(違ったかしら)これだけ判りました。ちょっと誇らしい感じ。当然見分けはつきませんが。
言っちゃっていいですか。これ黒田皐月氏の連作「擬装」の向こうを張った作品ですよね。自分ならこんな風に書けるぞと。私はそう読みました。
実は私の住んでいる近辺にも、全身真っ赤な羽根飾りみたいな服を着て歩いている青年がいます。「○○(地名)ローリー」と呼ばれていて、見かけると幸せになれると言われております。正体は近所の工場に勤めている人なんだそうで、私は数回見てますがあまり幸せになった気もしないのは何故。
それはまあどうでもいいので、異装の人というのは外見と中身がかけ離れているのがまた意外性があって面白い所です。その落差がこんな風にプラスの方に働くと魅力的なのです。(海)(この票の参照用リンク)
視覚によるものの使い方が巧いと感心しました。
性別も地域性も不明な服を着る彼、女友達のような気安さ、しかしその手は大きくて骨ばっている。ここまで描写がされていながら、その関係性を邪推させる要素が見当たらないように思います。(黒田皐月)
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シュールな話なのかと思った。いや、シュールだけど、ほのぼのと可愛らしい愛が描かれていて、素直に巧いって思った。(この票の参照用リンク)
話のテンポが心地よかった(ともきゅ)(この票の参照用リンク)
含まれているものの巨きさ、強さ、深さ。何と表現すべきかわかりませんが、それに圧倒されました。
ことばを玩んでいるような自分は、彼女と比べてどうだろうと思わずにはいられません。(黒田皐月)
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言葉でできていた「彼女」の中にもしも空気の中へ拡散していかない言葉があったとしたら、それを与えられた犬はたぶん「彼女」になるのでしょうが、人間を語る時に完全な言葉にできないものはきっとあるわけで、血眼になって最後の言葉を探す主人公というのはなんとも悲しい気持ちにさせられます。
いろんなことが書いてあってちょっと平面的に感じてしまった前期の『モノトーンメランコリ』と比べて、この『ことばくずれ』は一直線でドラマチックに感じました。
どきどきしました。(三浦)(この票の参照用リンク)
類型化される生活者。誇張される類型の特質。ある類型の特質と特質が対立する。つまらない自尊心がくだらない自尊心とぶつかり合い、細部にしか興味と価値を見出せない人間がさみしい。
>水着姿のアイドルが地べたで見ていたころより随分生き生きとしているのに気付いて、ふっと小さく息を吐いて笑った。
なんで地べたにいた時よりも生き生きして見えるのかがちょっと不思議だったのだけど。(この票の参照用リンク)
すらーっと読めてしまうんだけど、「エキストラ」というタイトルも示唆に富んでいて、うまく作りこんである。会話の微妙な外し具合も魅力的です。(この票の参照用リンク)
雨=梅雨、で夏が来る、は凡庸だし、全体像の調和がとれてない。感覚が錯綜している印象がある。ただ色彩感覚がある。イメージの被写体もある。1000字というキャンバスをどう埋めていくのかという技術的なことを意識したら面白くなると思う。(この票の参照用リンク)
こんな時に「別の何か」握られたら文字通り昇天してしまいます(笑)。失礼。うれし恥ずかし的な雰囲気がほどよく出ていて楽しめました。文章も活きがよくてよかった。男が寝込んでいる所に女が見舞いに来るという状況で漱石の『三四郎』を思い出しましたが、やはり病気というのは独特な気分が出ますね。(海)(この票の参照用リンク)
登場人物の「香西さん」の発言はしょっぱなからぶっ飛んじゃってるんだけど、ついつい読んでしまった。文中でも言われているように「意識的な錯覚」についての話でその観点だけでも面白いが、そこで終わらず最後に幻想的に〆てるところが素敵。(この票の参照用リンク)
ノリもいいし雰囲気もいい。中高生の頃、女の子にはオカルトというか神秘的な話題(転生・前世ネタ)&恋愛の話題で盛り上がる時期がありますよね(……え、ない?)。それを思い出してしまいました。見方によっては、この子たちみんな夢を追っているというか妄想の中で生きているとも取れてイタいけど、またそのイタさがいい。(この票の参照用リンク)