第50期 #24
やっかいな仕事が片付いた後、女は売店で瓶の牛乳を飲んだ。
「ふふっ手をあててるよ、あの子」
そんな声が聞こえて、女は少し恥ずかしかった。
女が社を出ると、外は暮れようとしていて夕焼けが眩しい。手で光を遮って歩いていると、一匹の汚い猿が立ったまま眠っている。
(誰? こんな所で猿を待たせて、おまけに眠らせているのは)
と思ってよくみれば、女の猿だった。
「ん、お嬢。おつかれ」
「さっきね、牛乳を飲むとき腰に手をあてて笑われちゃった」
「俺なら、指を頭にあてて飲むけど」
女は猿の冗談に返事はせず、黙って彼の差し出す首にまたがった。
「あの女、猿に肩車してもらってるよ」
「いいな、あたしも猿欲しいな。あんた猿になって」
「やだよ」
そんな声を聞きながら猿に乗る時間が女は嫌いじゃない。ゆったりと歩いていく猿の胸をかかとでポーンと蹴る。
「お嬢、チョコ食う?」
「今日は何があるの」
「ヴァローナ、ゴディバ、リンツ。一通りあるよ」
「お薦めは?」
「はあ、俺なら明治にするね……っていうか、実は明治しかない」
「じゃ、明治。そうね、神吉拓郎風でおねがい。パキパキって割ってちょうだいね」
猿の返事がない。
「ねえ、聞いてるの、猿」
「んごごご」
猿はうとうとしていた。
(ほんとに猿はよく眠る。ほんのちょっと目を離していると目を閉じるんだから)
女は猿の頬をつねった。
「は、眠ってた」
「眠っちゃだめよ」
「はい、明治の板チョコ吉田拓郎風」
「ありがとう……」
猿は携帯冷蔵庫を身体のどこかに隠している。チョコレートはとてもよく冷えていた。女はひとつまみで疲れがとれて、ふたつ食べれば満足だった。
「猿も食べる?」
「お嬢の口移しでいただきます!」
猿が急に緊張気味に言った。背筋が硬くなっていた。純情なくせになかなか強引だ、と女は少しためらった。猿はいつのまにか女を浅草まで運んでいる。こんなところで私に口を吸えというのか、と女は思った。
「ま、いいか」
猿は雷門の前で女を降ろし、女は口にチョコレートを詰めた。さっそく熱で溶け始めている。
「お嬢、いただきます!」
「うん」
女と猿は、多くの外国人観光客の前で口付けを交わした。猿は女のキスで魔法が解けて人間に戻るのだ、と賭けをしていたロシア人たちは、猿が本物なのに騒いでつねったりしていたが、女はその間うっとりしていた。「じゃあまた」と言って、人間の着ぐるみを被ったスーツ姿の猿は、東武鉄道に乗って日光へ帰っていった。