第70期予選時の投票状況です。15人より29票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
13 | キュウリ | 森下紅己 | 8 |
12 | 傍ら | 壱カヲル | 3 |
17 | 熱海と現実 | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 3 |
18 | エレキ発電所映画祭 | るるるぶ☆どっぐちゃん | 3 |
10 | 夏の剣 | 宇加谷 研一郎 | 2 |
16 | 瞬き | K | 2 |
19 | 夏の散歩 | かおり | 2 |
2 | 世界平和 | 藤澤マイコ | 1 |
3 | 恋の花 | ゆきかおり | 1 |
6 | 月の上で | あき | 1 |
11 | 島 | わら | 1 |
15 | 画一世界 | Qua Adenauer | 1 |
- | なし | 1 |
優れたフィクションです。
21世紀初頭、日本ではケータイによる強い結びつきが低年齢集団の均一性を高めていた。ケータイにはもう一つの側面として即時性があり、そのためそれらの集団内部のコミュニケーションツールとして、読みやすく内容も薄っぺらい文章が用いられていた。つまりこの集団では、自分の理解の範疇を超えない、消化しやすいもののみがエンターテインメントとして消費されていたのである……。
というような実在するかどうか分からない生態系を描いているという意味ではSFともいえます。盗癖と性欲が直結している精神構造なんて、自分がそうだったらと考えると普通に吐き気がしますし。
つまり「これはひどい」と読者に感じさせたのは、作者の力量によるものでしょう。異次元世界への案内役としてこの文体を効果的に用いている、と思いました。(この票の参照用リンク)
おもしろかったです。
オチがよくて、えっ!そうなの?と、読んでしばらく固まりました。
主人公が恋をして、初体験をして、母の女の部分を抵抗なく
受け入れたような感じを受けました。
(この票の参照用リンク)
下に走ってるけど、結構好きかも(^o^)(この票の参照用リンク)
あっさりしているなぁ。という感想。
それでいて明朗快活。簡単に読める。そして笑える。ブラックユーモア。
「真面目にやっている人がかわいそう」
と、意見されているけど、この人はもっと深い感性を持っているはず。
それを生かしてほしい。次回作に期待大。(この票の参照用リンク)
パソコンで見る、という利点を生かし、改行やスペースを活用しているところがいいです。
難しいテーマや文体が多い中、あっさりとしていて、簡潔。
以上の二点より、「読みやすい」という観点から選びました。
携帯小説家に向いているんではないでしょうか?
HP拝見しました。壱カヲルさんとの合作もがんばってください。(この票の参照用リンク)
オチを読んでクスクスと笑ってしまった!!
ありそうでなさそうで、でもやっぱりありそうな話!!
家族間の「性」の問題って、暗く取り上げられがちだけど、これだけ面白く書いていたら、読んでてすっきりします。
ただ、描写力があまりないのが残念。
書き直して膨らましてみてもいいんじゃないでしょうか?(この票の参照用リンク)
お母さんがきゅうりを何に使ったか気になりますねぇ。
少し下を匂わしていますが、コメディな感じで読んでておもしろかったです。こんな感じで長編の内容も短縮できるといいですね。(この票の参照用リンク)
全体的に荒削り。雑な感じの文が目立つ。千文字でいらない部分を削ぎ落としたかった気持ちは分かるが、物足りない感じが否めない。
ただし、それがテンポよくもある。アメリカのブラックジョークやスタンディングコメディアンのような、エンタテイメント性にとんだ話であると思う。
千文字ということで話が尻切れトンボになったり、途中で終わったような感覚を覚えさせられる作品の多い中、ちゃんと笑えるオチをつけている事が評価の対象になりました。(この票の参照用リンク)
難しいけど、よくわかった(^-^)b(この票の参照用リンク)
このテーマを選んだ理由が知りたいです。
世間的に問題となっている高齢化を取り上げたかったのか、家族の絆を取り上げたかったのか。どちらにせよ、現代日本に付随するテーマのような気がします。
文体は、私の好みとしてはもっと柔らかく、解りやすい方が好きです。捻られていたり、難解に書かれていたり、改行や句読点が少ないのは壱さんの手法なんでしょうか。ただ、電線の背景描写はとても印象に残りました。
HP拝見しました。森下紅己さんとの合作もがんばってください。
(この票の参照用リンク)
校正したい文体がいっぱいありますが、それはさておき、小説とは思えないリアルさです。実体験のような…。
認知症は、私の祖父も患っていました。それを看病していた祖母は、この作品に出てくる「恵子」と似た所があります。それが実体験と思わせる由縁かもしれません。
千文字でここまでのテーマを取り上げたのは、冒険であり危険な賭けです。駄作になるか、完成度が高くなるか。結果として後者になったのは、壱さんの実力だと言えると思います。
これを、長編に書き直すと、高齢化社会の波にも乗れ、広く認められる作品になるのではないでしょうか?
今後にも期待します。(この票の参照用リンク)
まず文章が非常に読みやすい。内容と文章と、さらに分量とが相応のもの。そのように書くのは、とても難しいことなのだと、他の作品を読んで痛感した。全体のまとまりがよいのも魅力。(梅田)(この票の参照用リンク)
小説としておもしろかったから。(この票の参照用リンク)
笑えたところが三つある。どう電車がゆれたら「熱海」が「網タイツのアナグラム」と気付くのかと、「コンドルか!」という突っ込み、あとは牟田さんのパンツスーツにだ。ストレス社会で現実逃避したくなるのは仕方ない。だが、パンツスーツによって網タイツから現実に引き戻されるサラリーマンの心情が伝わってなんとも儚げな妄想が面白い。(この票の参照用リンク)
不思議な世界である。
たくさんの華やかな単語(花やケーキやリボン、ハッピーバースデー)が無機質な名詞(発電所、戦車、無差別殺人)とからみあう。しかし、それは序の口。
普段はクールな人が日記にだけ書き込むような叙情的な表現があると思えば(「…終わりない旅が好きなのかと言われたら必ずしも…」)、現代アートにひかれているかわいい女の子が自問自答しているかのようなといかけがある(「…楽しくちゃ駄目なの?」「…魂の根源からの衝動じゃなくちゃ…」)。その問いの可愛らしさに惹かれてよんでいると、
『楽しくねえよ表現を表現出来なきゃ楽しくても楽しくねえよ、さっぱり意味ねえよ』
と、突如、言葉遣いが変わって読んでいる私の身はひきしまる。急に緊張する。すると戦車が町の看板をぼんぼん撃っているイメージや、無差別殺人に絡めて錆ノコ刑の話がでてきたりノモンハンが入ってきて物騒になってくるが、その荒々しさは発電所につながれたギターとアンプに転換されて、発散される。読み終わるとちょっとホッとした。まさに短篇映画祭だった。
……というのが初読の印象なのだが、もう一度読むと、最初はまったく見落としていた「鍵」という単語をめぐるエピソードが気になって気になってたまらなくなってきた。
「全ては一つ」「一つの鍵で開く」「行き交う人皆旅人である」「終わりない旅が好きなのかと言われたら必ずしも好んではいない」「あなたは何も伝えて来なかった」「あなたには何も伝えて来なかった」「ずっと一緒だったけれど」「お互いの耳の中に(……)鍵を取り出す」
こうして抜き出してみると、この作品はいくつかのショートムービーを無造作に組み合わせたスケッチとも思える半面、長年とても近い距離にある男女の表現者同士の、恋とよぶような甘いものではない、交感とでもよびたくなるような感情を描いた物語なのではないか、と推測してみたくなる。
もしもお互いがお互いの耳をちぎりあうくらいのやりとりをしていれば、その奥には相手のすべてを受け入れ、あるいは受け入れてもらう状況が待っていたにもかかわらず、両方が「何も伝えなかった」ために、結局はそれは歌になってしまった……というふうに自分勝手に作り変えて読んでみると、私はこの自分のスリカエの話がとても好きになった。
恋や愛のてんやわんやの真只中であーでもないこーでもない、と悩む話を読むのも書くのも「楽しい」のであるが、そんな砂糖たっぷりの甘さとはちがって、表皮の厚いグレープフルーツを、たとえば象が上からふんづけたときに、思わずとびちったときの、ほとばしる果汁(これこそ表現である)と、それを舐めて驚くにちがいない象! ……となんだか意味不明になってしまったけれども、まだ恋愛のレもはじまっていない、はじめる気もなかった、とある表現者の二人が交感の予感だけを感じながら別れていく物語を想像すると、私はとても楽しかったのですよ!
(この票の参照用リンク)
誌的な表現が好きです。是非、長編も読んでみたいです。(この票の参照用リンク)
言葉の全てが格好いいから。(この票の参照用リンク)
丁寧に書かれたお話です。ただ、もう少し字数のあるところで読みたかったような気もします。作者自らこの作品世界を作っていますが、感情移入して読むには序盤急ぎすぎかな、と思いました。作品に込められた心意気を評価します。
(一方『キュウリ』は初めの一行で世界構築が終わっていますが)(この票の参照用リンク)
完成度の高さとスピード感に惚れたから。(この票の参照用リンク)
無限の可能性の想像とそこからの転落の想像、このふたつを無理なく込めた良作だと思います。特に後者の、主人公の想像と連動して実在の少年が転落してしまったらという懸念に、私は感心しました。
この千字が一文であることに今さら気づき、読みやすさには技術があるのだということにも驚嘆。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
今までノーマークだったけど、Kやべぇ。くどさに乾杯。
(この票の参照用リンク)
短歌や俳句よりも長くなるけれど、でもやっぱり最小限の言葉で思いを伝えたい、そういう意図の文章だと感じました。読後によい余韻が残ります。
文章に独自性というか、ストーリーというか、出そうと思ったら出せたと思うのです。祖母の葬式で来た、新規顧客を訪問したついでに、失恋、高すぎる背の悩み、など。あえてそういうのを排除して普遍性を出し、読者にゆだねているところが素晴らしいと感じました。(この票の参照用リンク)
私は原則として1000字の短編小説では8割以上埋めるべきだ、という頑固なところがあって、内容そのものよりも、文字数:288 というのをみたときにはちょっとがっくりしたものだった。
ところが、「夏の散歩」を読んでみると、これは見かけはおよそ300字だけれども、空白の700字も実はちゃんと書かれてあって、ただそれが画面に見えるように書かれていないだけなのだ、ということを私は確信した。
とにかく完成されている、すごい……と、もう驚くばかりであった。
この話は要約するようなものではないと思うが、あえて試みれば東京に住む主人公が四国の島へ行ってそこが好きになった、という話である。
主人公の「私」の話なので、これを「私小説」と捉えたり「自然主義」と呼んでみてもいいかもしれないが、たとえば私が書くならばもっと主人公や周りの風景をゴテゴテと飾りつけたくなるはずだ。自分のために書いているのだから、と、自分好みのセンスを活かすことにやっけになって、1000字を存分に使いきるように努力する。
ところが、この話にでてくる主人公は、まさにありのままの自分をさらけだしていて、その「ありのまま」加減が実にいい。ギラギラしたところも、卑しいところも、感じられない。わざとかっこつけたり、旅情をきどったりしているわけでもない。ただ愛媛の島に用事があったので、「東京から愛媛の宇和島まで飛行機と電車を使って来た。松山のように何かあるわけではなく、早く用事を済ませて東京に帰るつもりだ」と、なんともサバサバしている。
島の観光名所にも「いかなきゃいかなきゃ!」と騒ぐわけでもなく、「一応」行ってみるわけだが、主人公が眼にとめるものは、それがお宝であるとか有名であるとかいうのではなくて、まっさきに気づくのが「清掃された砂利道」であり、庭園の様式の認識(「池泉廻遊式庭園」)であるところなど、そのセンスに脱帽する。そして、土曜日なのに誰もいないことを満足し、ここが本当に気に入ったことを確認したうえで、
「すべてが今私一人のものになっている。」
と、はじめて心の内を、急に、とても大胆に、短い表現で、告白する。すべてが今私一人のものに……全然色気あるシーンでもなんでもないのに、今期一番官能的であり、類推を誘ってくる。思うに上質の比喩やアナロジーというのは、決してみえみえであってはならないと私は思う。あくまでも読み手が「私の意識過剰かな?」と困惑するスレスレが、私の好みである。
「穏やかな優しさに包まれたくなった時は、こういうところのほうがいい。私はもう少し宇和島に留まることにした。」
と結ばれるのであるが、用事が済めば観光地のある松山などにはちっとも興味を示さないクールな主人公が、実は本当は「穏やかな優しさに包まれたい」と思っていて、その内に秘めた修羅はイチゲンさんの読者には教える気もさらさらなく、しかし、少し注意して読めば
「すべてが今私一人のもの」
と言うくらいに、凄まじく奥深い情感を底に潜めている主人公を知ることになる。この作品は今期の作品「エレキ発電所映画祭」と全く正反対のようでいて、根底の美しさが似ている。
小説や表現を読む楽しみというのは、そうした作品を通じて作者そのものの深層心理にじかに触れることで、作者その人とは永遠に会うことがなかったとしても、いってみれば文字という二次元の世界から三次元を通りこして、四次元の部分で、意識と意識が底では繋がっていることを知る喜び、ではないかと思う。その喜びは、たとえば作者がギリシア時代の哲学者であっても、現代の同時代人であっても変わらないのだ、と思った。「エレキ…」にしても「夏の散歩」にしても映像化すればそれなりにカッコイイ映像になると思う。が、映像では「エレキ」の独得の読むリズムも「夏の散歩」の余白の700字も、そしてそれらに秘められている作者自身も気づいていないかもしれない深層心理のようなものも、すべて映像にならない気がしている。アア文字で読めてよかった、と思った。脱線してすいません。いい作品でした。
(あるいはすべて私の誤読かもしれません……失礼しました)
(この票の参照用リンク)
なんの変哲もなく過ぎ去っていく世界平和が=幸せと定義できるのであれば、日常茶飯事に顔を合わせて、あいさつをして、喧嘩して、見て、聞いて、感じることの普通さが本当の幸せと言えると思う。この作品を娘の立場から読んだとき、お父さんが「世界平和」なんて臭い台詞を吐いたことに対して、娘は毎日顔を合わす気さくな男友達からプロポーズされたことを思い出し、「世界平和もまんざらじゃない」と思ったのではないか、という感想。(この票の参照用リンク)
正直に書くと、今期、私は「エレキ発電所映画祭」と「夏の散歩」におおいに心を揺さぶられ、これらの作品から楽しみと同時に<表現とはなにか?>と宿題をもらったような気がしている。
しかし、超上質な「夏の散歩」や超前衛な「エレキ発電所映画祭」は、親しむには敷居が高いのに較べるとこの「恋の花」はアメリカのウェルメイドなラブコメディーを、コーラとチップスを用意してみているような気安さと満足感がある。
思うに物語はそれが神話であれ昔話であれ風俗小説であれ、読み終えたあと、読み手の心にその小説のある部分が自分だけの脳内映像化として残るかどうかで決まるのではないか、と個人的に思う。私は、この作品を読んで、なぜか名前から武田百合子を連想して、武田百合子が深夜のラブホテルのちらかったゴミを捨て、シーツを直しながら、口うるさい先輩社員の指の動きを思い描いている映像を、思いうかべてしまう。(実際、主人公はフロント業務であって掃除をしたりしないとは思うのだけど…)あるいは、従業員たちが先輩社員を「独裁者」と陰口をたたき、それを知っていても仕事と割り切った彼が、仕事帰りにすごす一人の時間を頭の中に映写してみると、恋以外の部分も光ってくる物語だなあ、といろいろと感じるところがある。なによりも正しい感じがいい。すっかり正しさというのは少数派になっている時代ではあるけれども。
(この票の参照用リンク)
掲示板での批判も偽りではありませんが、この温かみのある幻想的な気持ち、好きです。
もぐら氏の感想のとおり、月の実態だけを現実的に描いたことは良いアクセントだとも思いました。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
伊坂幸太郎みたい(^-^)/(この票の参照用リンク)
反骨精神もやや好きなので、投票します。
またしても掲示板と異なることになりますが、大きくはマスコミを題材にした社会風刺なのですが、その中にもいくつかの諷刺があって、その構成は良いものだと思いました。
なぜ西暦かと言うと、私たちが当たり前と思うものすら都合によって改変させられるというインパクトですので注意。(黒田皐月)(この票の参照用リンク)
| 森下紅己『キュウリ』が
| ('A`) あまりにひどすぎて
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ 真面目にやってる人たちが気の毒に思えた(この票の参照用リンク)