第70期 #10
我が秘剣をムチの如くしならせて背中へ、左胸とみせかけて右脇へ、逃げるとみせかけて攻め込んできた彼女の剣を巻き込んで、自分のを相手のへそにすべりこませる。
実戦を離れて10年たっていたが、フェンシングの勘と腕はそれほど鈍っていなかった。控えめなパールのネックレスが似合っていた彼女は焼けた鉄のように熱くなっている。
引越先の県立高校に部が新設されたときいて、その夏合宿とやらに、ふらりと遊びに行ってみたのである。学生はランニング中ということで、顧問の女教師が僕の相手をして遊んでくれているのだった。
「エペもやりましょうよ、お手柔らかにね」
「こちらこそ」
首より下、腰より上の胴しか突いてはいけないフルーレから、頭から靴の先っぽまで触れればランプがつくエペに切り替える。
我々は剣を重ね合わせる。さっきまでの獰猛さはお互い影を潜め、狙うは手首の骨。相手が剣を突き出してきたそのときにひょいとかわしてこっちの剣を残しておけばいい。だから僕はまっすぐ腕を伸ばして彼女を誘う。だが彼女はのってこない。お互い、ぶらぶらと剣をこすり合わせながら、待っている。
(きた!)
彼女が一度腕をひいて、僕のマスクをめがけて思いっきり飛び込んできたのだ。待ってましたとばかり、手首の骨を狙う。ところが、彼女は思いっきり屈みこんで、こっちの剣先をずらしたかと思うと、とたんに僕の靴の先に軽く触れたのだった。それだけで色ランプ。試合は完敗。
マスクを脱ぐと学生が戻ってきて、ここで初めて自己紹介をして練習に混ぜてもらった。猿のTシャツを着た初々しいマネージャーが「夏蜜柑しぼったんです」と生ジュースをくれた。淡い酸味が口に広がる。男子部員が腕を伸ばし、雄叫びをあげながら、天井から吊るしたピンポンを突いている。十年前の自分と同じだった。
彼らの年齢だった頃、僕の剥き出しの精力はこの剣突きに集中した。だが団体戦は僕の勝利虚しく呆気なく終ってしまったのだ。仲間に腹をたてっぱなしの十年だった。28歳の僕は自分がやりたかった社内企画がいつのまにか同僚のものとなって、また、その企画がすぐに潰れてしまったことに二重に憤っている。気がつけば社の厄介者となって、飛ばされてここにいる。
(ちいせえなあ)
ヤスリで剣を磨いていると、隣にいつのまにか、負けて拗ねているのだろうか、部員が座っている。なあ、ジュース、飲もうぜ、と声をかけてみた。