第70期 #13

キュウリ

あたしにはビキの癖がある。ビキってのはつまり万引き。
今日も盗んだ。家から二駅離れた、ドラッグストアで。
ビューラー、リップクリーム、冷えピタ。
あたしは化粧はしない。そして、熱もない。だから盗んだものに意味はない。盗むだけ。
役に立ちそうなものは、友達にあげる。役に立たないものは、捨てる。
一度、何で自分がビキをすんのか疑問になった。だから智子に相談した。
「女の万引きってさ、性的欲求不満の証なんだって」
智子は一蹴した。そうなんだろうか。あたしには、確かに彼氏たるものは居たことがないけれど。

うちの親は仲が悪い。親父は外に女がいる。母さんは親父を責めない。だけどあたしには愚痴る。
「ママ、そんなに老けたかしら」

あたしは家が好きじゃないのだろう。だから遅くまで、スーパーでバイトなんかしているのだろう。そういえばこの間給料が上がった。高校生が月に五万もらってるくせに、ビキしちゃうってやっぱおかしい。

夏の終わり。十時前、閉店間際。あたしは倉庫でチェックをし、店頭に出た。
母さんがいた。野菜売り場にひとりぽつんと立っていた。あたしには気付かずに、じっとキュウリを見つめている。
声を掛けようとしたときだ。母さんの手が動いた。
ゆっくりとも、すばやくとも見れた。
母さんは、キュウリを一本、自分のバッグの中に入れた。
そしてそのまま、店から出て行った。

「ただいま」
何食わぬ顔をして家に戻る。
母さんは台所に腰掛けてパックをしていた。
「親父は?」
「女のところ」
母さんは答えて、ふと笑う。
「なんだかね、馬鹿らしくなっちゃった」
パックを剥がすと鏡を覗き込み「まだ若いんだから」と頷く。何かに満ち足りたような、そんな笑顔。
「あ、そう」
あたしはごく自然に冷蔵庫の野菜室を開けた。冷凍庫も、クルーザーも、くまなく。
「何してるの」
母さんは訝しがる様子もなく言った。
「いや、小腹が減って。サラダかなんか、ない?」
「ないわよ。生野菜は今は痛むから」
「そう」
母さんは「もう寝るわ」と言って寝室へ引っ込んだ。

それから後、あたしは彼氏が出来た。成るようになるもので、無事、初体験を済ませた。ビキが性的欲求不満の証なのかは未だに分からない。でもひとつ言えること。あたしはビキをしなくなった。
「そらごらん」
久々に会った智子はそう言って笑った。

そういえば、母さん。
あの日のキュウリはどこへやったのですかね?



Copyright © 2008 森下紅己 / 編集: 短編