第70期 #6

月の上で

 幾重の願いを掛けたくなる、月。夜の中に儚く浮かんで、あたかも微笑んでいるかのように暖かく、優しく光って、その美しき月光を、夜道いっぱいに降らせて。
 だけど……そんな月の実体は。石と砂、幾つものクレーターのみが存在する、寂しい世界……
 ――或る時、そんな月に、一人の少女の魂が現れた。少女は暫く目蓋を閉じていたけれど、やがてゆっくりと開いた。
「? 此処は……」
 私はさっと起き上がると、辺りを見渡した。音の無い、石と砂、幾つもの窪みだけの世界。青い筈の空は、真っ暗で。だけど、幾つかの星がぽうぽうと光っている。
 私は声を上げずに笑って、呟きを零した。
「約束のとこに、来れたんだ……」
 そして、遥かに遠いあの星……地球を見詰める。
 初めて遠くから見るな……青くて、キレイ……私はあの星で、生まれ育ったんだなあ……
 そう思うと、胸の中がキュウ、と痛くなった。だって……私は、もう……。今頃、皆どうしてるんだろう。私の体……もう、燃やされちゃってるかな……
 考えれば考える程、あの星に帰って息をしたくなる。地球から離れた月に居て、息が出来ないけれど全く苦しくない私が思っても思うだけ無駄なこと、知っているのに。
「さゆ、あれが月だよ」
 ふと、大切な人……灯の声が、頭の中で響く。
 ……灯は……あの星で生きている間、何時も私を憶えていてくれるだろうか。想っていてくれるだろうか。……ああ、こんなこと、思っちゃ駄目だ。そう思うのは、灯を苦しめることに等しいことなのだから……。
 私は灯たちの居る青く輝く地球を見詰めながら、その場に座って目を閉じる。
 その時、目蓋の裏に、ラベンダーの花が浮かんだ。……この花……灯にあげようとした。
「――灯、私、灯にあげたいものが有るんだ」
「ん?」
「はい、……ラベンダー」
「さんきゅ、でも何で?」
「ラベンダーには、……うぅっ」
「さゆ!」
 ――結局……灯にラベンダーの意味を教えてあげることも出来ずに、発作起こして、死んじゃったんだっけな……
 灯はそれでも、約束……憶えていてくれるかな? 灯なら絶対、憶えていてくれるよね。
 私は再び目蓋を開き、変わらず青く輝く地球を見詰めた。

 ――ラベンダーの花言葉。
「あなたを待っています」

 ――待ってるよ、灯。約束の、月の上で……



Copyright © 2008 あき / 編集: 短編