第70期予選時の、#18エレキ発電所映画祭(るるるぶ☆どっぐちゃん)への投票です(3票)。
不思議な世界である。
たくさんの華やかな単語(花やケーキやリボン、ハッピーバースデー)が無機質な名詞(発電所、戦車、無差別殺人)とからみあう。しかし、それは序の口。
普段はクールな人が日記にだけ書き込むような叙情的な表現があると思えば(「…終わりない旅が好きなのかと言われたら必ずしも…」)、現代アートにひかれているかわいい女の子が自問自答しているかのようなといかけがある(「…楽しくちゃ駄目なの?」「…魂の根源からの衝動じゃなくちゃ…」)。その問いの可愛らしさに惹かれてよんでいると、
『楽しくねえよ表現を表現出来なきゃ楽しくても楽しくねえよ、さっぱり意味ねえよ』
と、突如、言葉遣いが変わって読んでいる私の身はひきしまる。急に緊張する。すると戦車が町の看板をぼんぼん撃っているイメージや、無差別殺人に絡めて錆ノコ刑の話がでてきたりノモンハンが入ってきて物騒になってくるが、その荒々しさは発電所につながれたギターとアンプに転換されて、発散される。読み終わるとちょっとホッとした。まさに短篇映画祭だった。
……というのが初読の印象なのだが、もう一度読むと、最初はまったく見落としていた「鍵」という単語をめぐるエピソードが気になって気になってたまらなくなってきた。
「全ては一つ」「一つの鍵で開く」「行き交う人皆旅人である」「終わりない旅が好きなのかと言われたら必ずしも好んではいない」「あなたは何も伝えて来なかった」「あなたには何も伝えて来なかった」「ずっと一緒だったけれど」「お互いの耳の中に(……)鍵を取り出す」
こうして抜き出してみると、この作品はいくつかのショートムービーを無造作に組み合わせたスケッチとも思える半面、長年とても近い距離にある男女の表現者同士の、恋とよぶような甘いものではない、交感とでもよびたくなるような感情を描いた物語なのではないか、と推測してみたくなる。
もしもお互いがお互いの耳をちぎりあうくらいのやりとりをしていれば、その奥には相手のすべてを受け入れ、あるいは受け入れてもらう状況が待っていたにもかかわらず、両方が「何も伝えなかった」ために、結局はそれは歌になってしまった……というふうに自分勝手に作り変えて読んでみると、私はこの自分のスリカエの話がとても好きになった。
恋や愛のてんやわんやの真只中であーでもないこーでもない、と悩む話を読むのも書くのも「楽しい」のであるが、そんな砂糖たっぷりの甘さとはちがって、表皮の厚いグレープフルーツを、たとえば象が上からふんづけたときに、思わずとびちったときの、ほとばしる果汁(これこそ表現である)と、それを舐めて驚くにちがいない象! ……となんだか意味不明になってしまったけれども、まだ恋愛のレもはじまっていない、はじめる気もなかった、とある表現者の二人が交感の予感だけを感じながら別れていく物語を想像すると、私はとても楽しかったのですよ!
参照用リンク: #date20080716-150649