第230期予選時の投票状況です。9人より23票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
3 | ここは海だった | 三浦 | 4 |
6 | ウサギ人間 | euReka | 4 |
7 | 愛らしい妹 | たなかなつみ | 4 |
9 | 土星の周りには寿司が廻っている | 朝飯抜太郎 | 4 |
4 | F | テックスロー | 3 |
5 | Tさん | 糸井翼 | 2 |
1 | 次こそ死神 | いぶき | 1 |
2 | きこりのお話 | 小説作家になろう | 1 |
なんか、読み返し、段落を戻って。。。最後まで読んでしまった。
??? 話のスジはわからない、、、けど。(この票の参照用リンク)
読み切れないが、想像をかき立てられる作品。一段落で二人の関係性が端的に示され、通底する緊張感が生まれる。二段落で場が提示され、人形というよくわからないイメージが与えられる。三段落の語りは加瀬によるものだろうか? 弱くタイトル回収。最終段落で三段落のタイトル回収が強められ、印象的な絵ができあがる。最終的に澤が魅力的に映る点が、この作品を小説たらしめているように思う。(この票の参照用リンク)
短い文章だがイメージ喚起力がすごい。ただわからないところはわからない。
街中に(たぶん無料の)足湯があるのはさびれた温泉街というような感じを想像した。
もっと幼いころ、おそらく仲が良かった澤と加瀬、今は決定的に変わっている。人形というのが、なんか超能力や呪術のようなファンタジーを感じさせていて、世界観をさらに広げているようでわからなくなっているような。
#1 次こそ死神
読み返すと最初のテスト終わりの中学校のさわやかさ、それに反するような子供部屋の快い緊張感などの文章が好みでうまいなと思った。中学生にしては、シーツで死神の幼稚さ、ごっこ遊びの中途半端さが残念だった。もっと突き抜けてほしかったけど、真面目で悪いヤツではないことが伝わった来た。
#2 きこりのお話
みなさんが、きこりに対する好感で笑っているとしたら、「幸せに暮らしました」がしっくりくる。
超常的な力に頼らなくても、幸せに生きていく、持っている人間の話と読んだ。そう考えると、話の中心は「泉の女神」ではなく、このきこりそのもののキャラクターとなってくるのが、いいなあと思った。昔話って、ギミックとか話の構成に興味が良く感じなので、新鮮な感じ。
#5 Tさん
すっと物語やキャラクターが入ってくるのはうまいと思った。ただ、こうどこかでみたような関係性というのは否めない。父親は、「それ以上の幸せも伝わってきた」という感想を、どういう気持ちで言ったんだろうかな。本当によかったと思っているのか。
#6 ウサギ人間
世界観がちぐはぐな感じがして乗れなかった。ちぐはぐでも存在してしまう、現実の理不尽さを表しているといえば、狙ったものなのか。整った世界観で安心したいのは「襲われる危険が少ない人か、金持ちだけ」。読んだ人を不安にさせるという意味では、これでいいような気がしてきた。
#8 映画
わからん。映画を撮ろうとした結果、自分自身を掘り下げて、ばらばらにして、元あったものがなくなって、新しく生まれかわったということなのか。一皮むけて映画監督になったということ?
気味が悪い怪物描写は良かった。自分がそんなになるとか怖すぎる。(この票の参照用リンク)
奇怪な文章。文体にリズムや美しさがあるため、何かあるかも、と思い何周か読んだが、作者が「これで完成」と思った意図を発見できてない。わかる方に託す。
・「輪郭が揺らぐ。」足湯につけた加瀬の足の輪郭ととった。
・「脚が増えて、遅れて澤の腕が伸びた。飲めよ。」澤の足が足湯に入り、澤が加瀬に飲み物を渡すシーンと読んだ。
・「咀嚼と渚がまぐわう音」まぐわうの表現が気になるが、渚を楽曲名と取った。同名の楽曲の歌詞にも当たったがこの作品に還元したいような内容は発見できず。かつて海だったここにかつてあった渚の音、渚という名前の人物、どちらも検討したが証拠不十分。
・「人形」が何者か。にんぎょうか、ひとがたか。また傷の処置との関係は。自分の中で定説が定まらず保留。この人形についての描写があるためこの作品が現実かファンタジーかメタファーかわからん。
・血が出ている傷口を足湯につける倫理観。あまり現実世界っぽくはない。
・「澤」「加瀬」「渚」といった氵のつく固有名詞とタイトルにもなる「海」の関係。何かのメタファーや暗号かと思ったが、わからん。
・声なき加瀬。気になったが、その意図がわからない。
・「ここは海だった」というタイトル。作中の舞台は、海ではなく、どこかの温泉地で、しかも「海だった」ことが意外な場所ということで、内陸の山の方のような気がする。これがタイトルであることに注目し、この作品を「これは小説だった」もので今はその影がないものというメタ作品として解釈するのはどうだろう?意味の固定化や物語としての体裁より、文体の調子を重視したのではないか。
”「どの作品が優れているか」という観点”ではないかもしれないが、惹かれるものがあり感想を寄せたくなったので投票。(この票の参照用リンク)
魔法があると、何でもあり。 あとは小説作家のアイデアだ。
+++
結界を立て板。や、細長い剣にして、張ると、相手が分断される。
===
と、言う小説を読んだ。 面白かった。 結界を張って、、
壁みたいに相手を吹き飛ばす。 と、言う小説もあった。
===
なぜ、魔法使いを雇えるのか。 お金を与えることができるの?
???
と、言う疑問が残った。
===
会話しているから、愛を感じた。>愛はコミュニケーション
なんとなく面白かった。(この票の参照用リンク)
読者を異世界へ飛ばして話に区切りをつけるまでが千字で完璧に描かれていました。特に最後の二文が素晴らしいです。(この票の参照用リンク)
ウサギ人間や結界なんていうものがある奇妙な世界なのに、100均、コロナ禍という現実が含まれていて、身近な世界を語られているようにも、むちゃくちゃなありもしない世界とも読めます。これだけの分量でも不思議で面白いです。(この票の参照用リンク)
”玩具類のコーナーで、結界を売っていた。”だけでやられてしまいました。コロナ禍での生活の大変さ・侘しさをシュールさで包んでうまく表現していると感じました。
『映画』は、セイコ・ハクコ・ケッコの聞き慣れない名前は声・拍・結なのでしょうか?その意味が気になるも掴み取れず、場面も理解を超えていました。
『ここは海だった』『愛らしい妹』も状況が読み取りにくく、内容も暗く、元気を奪われるだけに感じました。
『F』は最後に主人公が笑えて良かったのですが、そんな父のいる家庭ならそんな状況にならない気もします。
『Tさん』は、それならTさんは”お兄”に気付かれているのも分かったはず。その愛憎は深く激しいものかもしれませんが、必要なことが描ききれてないように感じました。(この票の参照用リンク)
一線を越える瞬間が描かれているのがよい。登場人物が一線を越える作品は、それだけで面白い。
妹の「お兄ちゃんなら大丈夫だと思っていた」に垣間見える閉塞感も大分ヤバいが、「これこそが自分の妹だ。今までの妹はまがいものの幼生だったのだ。」の断絶っぷりにクラクラした。淡々と描く筆致が壮絶さを際立たせている。最高。(この票の参照用リンク)
カフカの「変身」を、作者なりにアレンジした作品ということか。
カフカの場合は、虫になった主人公は最終的に家族から見捨てられたわけだが、本作では、虫のようになった妹に主人公が安らぎを見つけて寄り添うという展開になっている。
この違いが面白いなと思ったが、このままだと兄妹ふたりで、ただのひきこもりのような状態になるしかない。
だから、もう一展開、何かが欲しいところ。(この票の参照用リンク)
気持ち悪いですけど、ここまで突き詰めるとちゃんとした作品だなと思いました。変わり果てた妹ではなくて、人間の気持ち悪さみたいなのも同時に感じました。(この票の参照用リンク)
なんとも気味が悪く悲しい話。よくできた妹とできがよくない(と思われる)兄の間の小さな人間関係で完結してしまっているのがなんとも物悲しい。本来、そういうものから飛び出す象徴でもある羽化が、逆の方向に行くのが面白い。
妹との年の差はわからないが、妹が生まれた時、兄は素直に喜んだし、可愛い妹が好きだったのではないかとなんとなく思った。蛹が折り返し地点となり、精神的には過去に逆行している。その頃が、兄にとって、とても幸福な時間だったのだろうと思う。(この票の参照用リンク)
なんとなく、勢いで読ませる文章で、特に内容なはいのだけれど最後まで読んでしまう。
リズムがいいというか、何というか……。
でも、最後の部分はよく分からなかったので、んん?という気持ちになってしまい不満感が残る。(この票の参照用リンク)
>予想通り、近くの回転寿司屋の待合には家族連れが一組と、一人の女性がいるだけだった。
の意味が最初分からなかったけど、その辺で寿司が食べられるようになったので、寿司屋に閑古鳥が鳴いてるということだろうか。じゃあなんで主人公は時計板の寿司を食べなかったのだろう。という点は疑問は疑問だが、まあサーモンサーモンサーモンと、よくもまあいけしゃあしゃあと5回もサーモン繰り返して、なんとなくエロい気がするし、ふっといアナゴとかもまあそう読めなくもないし、たぶんこれは読む私の頭にいかん変換機能がついてるだけなんだろうと思いますが、
>「これって……もしかして、サーモン?」
>彼女は赤くなって俯いてから、少し上目遣いで僕に聞く。
>「だめ、かな?」
まあ確信犯と違いますかね。(この票の参照用リンク)
内容よりタイトルの方が面白い。土星の周りで廻る寿司の話を読みたかったのに、男女のありふれた恋話だったので悲しい。世界に天変地異が起きても案外変わらない人間の営みを経験してる人がいる時代なので共感されるかもしれない。今期の#6「ウサギ人間」よりはこっちの方がむしろコロナ感覚がある。「ウサギ人間」は奇抜な二つのアイデアをつなぎ物語の形にするためにコロナ禍の概念を用いたような気がする。
最後のサーモンの皿は、ケーキの上に廻ってたのがサーモンだったから食べてしまって空き皿になっているということだと思う。
今期の他の作品より明るくわかりやすいのでこれを推します。(この票の参照用リンク)
最終盤の
>感想!って……あれ、一つ、寿司のない皿がある……。「これって……もしかして、サーモン?」
がよく分からなかったのが残念ですが、土星の回りにも原子核の回りにも、時計の上でもホールケーキの上でも寿司がくるくる回っているのはとてもシュールで、それに絡んだ男女の出会いが初々しくて好印象を持ちました。(この票の参照用リンク)
明と暗が鮮やかに描かれている。何の解決にもなってないとか(確かに)、だから何だとか言うのは野暮で、とにかくハゲた親父がギターをかき鳴らすシーンが強すぎる。面白い。それで充分だと思う。(この票の参照用リンク)
もはやステレオタイプとなっている暗い引きこもり描写の後の、「ぎゅいぃいぃいぃいん」の展開の切り裂き方、禿げとるやんけのコンボは見事だなと思った。いつも暴れているらしい父親の感じとか、いくとこまで進行しているどうしようもない暗さを払拭してくれるかもしれない希望を感じた。
父親が禿げてることを再認識することで年月を感じ、おそらく引きこもっている間は時間の流れはそれ自体が苦痛だったとしても、それがいい方向に行くようにも感じているようにおもった。これは一時的な燃料のようなもので、それをもとに第一宇宙速度を脱することができるかはわからないが、できる未来だってあるんじゃないかと感じられるのがいいんじゃないかと思う。
息子も父親もそれで必ず何かが変わるとは思っていないかもしれないし、現実は甘くないということを身に染みているからこその今であるけれど、こう、なんか足掻いている感じを、無駄だと切り捨てないでいきたいじゃないですか。(この票の参照用リンク)
後半の展開は予想を裏切って明るく派手だが、そのインパクトをもってしても、前半の鬱々としたものは吹き飛ばせなかったと感じた。この感想は作者の意図とは違う可能性がある。
第219期#5「渇して井を穿つ」に環境が似てるが、この作品は綿密に書き込まれて描写に破綻がなく、主人公の辛さまで具体化できている。短編といえども、より小説らしいのはこっちかもしれない。しかし「渇して井を穿つ」には脱出の希望があるが、この作品はまだそれがない。それがやけに悲しい。息子を励ましたい父の姿としても、何も考えてない父の姿としても、どちらだとしても面白いが、いっとき笑おうとも息子の問題は微動だにしない。
だからこの作品は本当に小さな出来事・事件の描き方として正直なのかもしれないが、人間の願望を満たすチカラは「渇して井を穿つ」の方があるのかなと思った。(この票の参照用リンク)
いちど、読むのを放棄。 だけど、読み返したら、スジがあるので、小説になっていると感じて、、、思いました。(この票の参照用リンク)
ほほえましいタッチなのに描かれている内容はえげつない。思わずいい話でしたでまとめてしまいそうになるけど、ネットで自分の娘の作品を探し当てる執念や、感想を送って遠巻きに見守ると思いきや直接会いに行く大胆さがどうにも怖い。「なめやがって」と兄は言う。恐怖に震えるわけでもなく、怒り狂うわけでもない。そして父親はまたSNSで感想を送り付ける。おそらく息子が自分の正体をばらしたのを知ったうえで。最後の主人公の決意もすごい。とてもピュアな感じがするし、実際裏はないんだろうが、それが何とも言えない欠落感を生んでいる。(この票の参照用リンク)
”主人公を窮地に追い込む悪役の構図”、いいですね。仲の良い兄弟なのだと思います。冒頭の描写から、一転して室内での睨み合いになったのも良い感じでした。(この票の参照用リンク)
リズム感がいい。(この票の参照用リンク)