第230期 #4

F

 暗い部屋の片隅にカロリーを溜め込んだ肉塊が鎮座していて、ときたま横に揺れる。照明を消してなるべく己が闇に溶けてしまえるように。食べ散らかしたスナック菓子、即席麺、ペットボトル、ゲームソフトのケース、漫画雑誌、扇風機、万年床、壁には殴った穴穴穴。
 部屋のドアの向こうで音がして、肉塊はびくりと一瞬身を震わせる。母親が食事を置いたのは知っているし、普段はいちいち反応しないのだが、引きこもり生活の虚を突くような仕方で提供された食事に思わず己を見透かされたような気持ちになって肉塊は叫ぶ「なんか言えやクソババア!」
 母親は階下に降りる足音を一瞬止め、「ごめんね康太」とつぶやく。顔は合わせないとはいえ、あいつらと同じ時間に飯を食うことは耐えられないので康太は爪を噛んだりしながら空腹をやり過ごし、両親が寝静まった頃に冷め切った飯を食べることにしている。この時間が康太には本当につらい。
 静寂の中に食器の動く音がして、老夫婦の暗い会話が聞こえてくる。食卓の上は吹き抜けになっていて、ちょうど康太の部屋の窓から下がのぞける格好になっている。小学校の頃は部屋から階下の父母に笑って手を振ったその窓は今は固く閉ざされ、厚いカーテンがかかっている。康太は耳をふさいで食器と会話から己を守る。そのうち罵りあう声、食器ががたがた揺れる音、机を叩く音、椅子を引きずる音がして、康太はまたかと身を縮める。止めて、お父さん、止めてと母親の金切り声が聞こえ、そろそろ食器が割れて父親が叫ぶ頃だ。康太は歯を食いしばり目をつぶる。
 ぎゅいぃいぃいぃいん
 ガラスの割れる音ではなく圧倒的な金属音がした。割れたノイズが家中に響き渡る。がぎゃーんというこの音はもしやギターの音か? なぜ? 疑問を挟む余地のない高圧的な音圧がガラス窓をがたがたと震わせる。土石流のような音が奏でる不協和音は次第に形を変えて、これはコードか?

「お父さんは昔ギターをしてたけどFのコードがどうしても弾けなかったんだよ」

 カーテンをめくって下を見ると康太の部屋に背を向けた父親が食卓に仁王立ちをして掻き毟る弦、オリジナルなのかカバーなのか分からないが何かしらの音、そして何かしらの歌、叫び声、Fのコードで一瞬もたつく左手、アンプからあふれる音音音。

「ハゲとるやんけ」

 しびれる脳と耳の中、どんどん赤くなる父親の頭頂部を見ながら康太は本当に久しぶりに笑った。



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