第2期予選時の投票状況です。11人より27票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
14 | ちゃろ坊 | 川島ケイ | 6 |
11 | ちいさな命 | 黒木りえ | 5 |
4 | ただいま水虫撃退中 | ツチダ | 3 |
6 | 秋の終わりの物語 | 和泉志紀 | 2 |
7 | 美しい髪 | 三浦 | 2 |
8 | シャイン | ハチミツボーイ | 2 |
9 | 蛍の川 | 曠野反次郎 | 2 |
10 | ルーム・クラッカー | 紺詠志 | 2 |
1 | 必然の足跡 | ひなた一宇 | 1 |
3 | (削除されました) | - | 1 |
13 | 秋冷 | 海坂他人 | 1 |
最後の一言が大変好きです。一番好きです。(この票の参照用リンク)
どこのだれともわからない一日だけの「友だち」の思い出は、いつも遊んでいた連中とはまた別に、やけにこころに深く刻まれているものである。「ちゃろ坊」のように、ふしぎな存在として鮮烈な印象を残す。主人公の年齢がわからないが、たぶん彼よりだいぶ年上だろうと仮定したうえで、「ちゃろ坊」は、そういう思い出のなかの印象的な存在の象徴として、主人公の前に現われたのだと思った。なつかしい思いがしてホロリときた。(この票の参照用リンク)
「ちゃろ坊」との情景が目に浮かんだ。
「秋冷(海坂他人さん)」と同様「日常の中に投げ込まれた一石の波紋」に影響される「私」の話だが、甲乙つけがたく面白かった。
「秋冷」ではなく「ちゃろ坊」を選んだのは、思考線が無く、一気に読めたため。「秋冷」が思考線を使っているから、という理由ではない。空行や記号を乱発している作品が多い中で、「秋冷」での使い方は適切であり、作者は日本語での表現をよく知っていると思う。
そのように考えても、無い方が読みやすかった。選んだのは好みの差でしかない。
<久遠>(この票の参照用リンク)
こちらのちっこいのもなかなか不憫なヤツ。
昔、どうせ猫なんか借家では飼えないのに、空き地の捨て猫を不用意にかわいがってしまいなつかれて困った。何度ダンボール箱にもどしてもついて来るのでそこら中を走り回って子猫をまき、家に逃げ帰った。 夕ごはんを食べてからすこし心配になってのぞきに行ったら、車に轢かれてぺちゃんこになっていた。あの時は自分が猫を殺したと感じて、3日ぐらい泣いていたなぁ……。と、いう事でこれも次席。(この票の参照用リンク)
子供らしさがよく表現されていた。予定調和的で波乱こそないが、
ごはん3杯イケそうなくらい素材が良かった。(この票の参照用リンク)
残念ながら今回は消去法による投票、などと書いておいて投票されても嬉しくないだろうが、どうしても第一回参戦作品という色のついた眼鏡で第二回参戦作品を見てしまい、次々に候補作品を消去していってしまったらこれが残った。
この作品に関しては、「ちゃろ坊」というネーミングの勝利だね、と。(この票の参照用リンク)
一月に三人もできるんじゃ今は一体何人いるのかとか、「わたし」は普段この子らとどんな生活を送っているのかとか、子がうまれるところは実際にはどんななのかとか、それを見た人はいないのかとか、ボイスチェンジャーで子の声を低く落とせば話ができるんじゃないかとか、想像が後から後から浮かんでくる。またしても千字だけで語るには勿体ないような題材を提示されてノックダウン気味ですよ。
「わたし」が自分を死神になぞらえながらもあまり悲観的でないのは、本人にとって死は喪失でなく再生だからか、などと推測し、そんな「わたし」のあり様もまたよいと思いました。(この票の参照用リンク)
生命の誕生と死が、きわめてイージーかつスピーディーに展開していく主人公の世界は「無常」そのものであり、また誕生と死とに関連があって、とにかく仏教的な「はかなさ」を感じた。それでも子どもたちは、ぶきみなまでに、いたってキャッキャと陽気である。しかし、はかなさ以上に、気もちのわるい話だと思った。それはたぶん、私が男だからだろう。この物語の出産には、男の役割が見えない。(この票の参照用リンク)
思い出したくない「イレイザーヘッド」を思い出した。
「優しさと怖さ」「気色悪さと可笑しさ」のような本来であれば反する感情が入り交じっているために、独特な読後感がある。
子供に対する情愛から、その子供の意味することへの恐怖がさらりと描かれるところが怖かった。
<久遠>(この票の参照用リンク)
初読のときは何となく「個人的に好みの作品」とだけ思ったが、読み返してもう一つ二つ。
最初の「記憶をなくしているあいだに子供を作ってしまう」という入り方が自然である。ごく現実的な状況を想定させておいて、スッとずらしていく構成の妙。
主人公は普通のOLかと思っていたが、たぶんそれでいいのだろうが、「仕事」「取引先」という詞を眺めているうち何か象徴的な意味が空想されて来るようでもあった。この主人公が死神であれば、取引先の偉いさんとは何者であるか。
とにかく、貫禄アリとしか言いようがない。(この票の参照用リンク)
死神はやりすぎ。かくし味の塩はほんのひとつまみでよい。しるこが辛くなり過ぎた。しかし、【たたた‥‥と軽い足音が〜「こら、いたずらしない」】の間の表現は秀逸で、ちっこいヤツのかわいらしさを動画として感じられた。表現力◎で次席。(この票の参照用リンク)
実を言うと前作は少々引き気味だったのですが、今回は単純に面白かった。結末を切るよりも導入を切って結末をつけてる方が、なんとなく落ち着きます。字数制限に対抗する新たな手段となるかも(この票の参照用リンク)
町田康をもっとライトに親しみやすくしたらこんな感じだろうなと思いました。その「っぽさ」というのはマイナスポイントではあるのですが、それを差し引いても面白かったです。(この票の参照用リンク)
やべ
ちょーおもしれぇ(この票の参照用リンク)
こういった寓話的作品は好きです。(この票の参照用リンク)
迷子とやってしまったのはいかにも残念。『凪いでいた少女』もやや唐突な感がした。嵐、時化があってこその凪で、少女=風(木枯らし)はすくなくとも物語が始まったときから凪いでおり『ずっと凪いでいた少女』ならスッキリ意味が通ったかも。しかし、すてきな話であることには変りはなく、今回はこれが首席。(この票の参照用リンク)
結末はちょっと甘いような気がするが、ベアトリ・ベック並みのダークメルヘンで、申し分ない作品。グリム、アンデルセンなどの「残酷と幸福」というメルヘンの1スタイルを見事に踏襲している。
「分相応」「分をわきまえる」という教訓の処理の仕方が秀逸。
<久遠>(この票の参照用リンク)
ここで「髪」とは何かの象徴なのだろうと考えられる。ちょっと今うまく言えないけれども。
今回もっとも字数の少ない作品であったが、省略の効いた象徴性と、独特の強さを持つ文章だと思った。ただ最後の〆方など危うく独り合点になる危険もあったかも知れない。(この票の参照用リンク)
なんとも言えぬ味わい。(この票の参照用リンク)
おもしろいおもしろい!
恋が成就したのかどうかは読み取れなかったが、どっちのラストでもいいような気もする。夏の終わりの奇妙なハイテンションに同調してしまい、TUBEを脳内BGMにどきどきしながら読んだ。
次点
ロック・ミー!
プロローグみたいな話だ。
人食いの話だと思うが、強姦の意味もあるかもしれない。くってから喰っちゃっても行方不明者は出るし。しかし、少女の書き方がさびしいのでたぶん胃に収めただけだろうと思う。
ルーム・クラッカー
みたことある設定、みたことある主人公、みたことある少年、みたことある母親、と、新しいものは一つも無いのだが、カタカナの使い方で作者らしさがでていてよかった。文字の勝利。(この票の参照用リンク)
おもしろかったです。(この票の参照用リンク)
正統派として選ぶ。情景の描き方はまだまだ工夫できると思うが、
清冽である。(この票の参照用リンク)
クールでハードボイルド。短い作品でいわゆる「ショートショート」でないSFを書こうとするのは氏独自の挑戦であるような気がする。設定があまり語られないのも千字短編ならではの味わいで、よいなと思いました。(この票の参照用リンク)
こめかみにジャックがあるなんて、キョエー!普段はモミーで
隠されてるのか。秀逸なドラマツムギー。(この票の参照用リンク)
いいなぁ。
こんなお店。
こんなバーテンさん。
個人的にはDreamなんて名前のBarには入る気しないなぁ…
Barの名前はかかなかったほうが良かったかも…(この票の参照用リンク)
文章・構成ともに傷というものが全く見当たらない。作者は最低の条件と言うかも知れないが、この界隈では奇跡的なことだとおもう。
いま読み返していて、行方不明になるのはまず被害者の少女は当然として、この主人公も多分そうなんだろうなと思い当たった。そうしたら、一層怖くなった。(この票の参照用リンク)
見ず知らずの人間の死が、見ず知らずの人間たちの人生にちょっとした波紋をひろげてゆく。じっさい、「人身事故」によるそれは、多くの人が実体験していることだ。事故のアナウンスがあったあとの、車内やホームでの動揺みたいなものは独得で、ワクワクしさえする小さな椿事であり、みょうに人々の動向が気になる。おそらく、それまで人々のあいだにあった「電車に乗って移動する」という共通の目的がふいに頓挫したとき、個々の人生の一端が突如として個別に認識できるようになるからだろう。そういう様子が淡々と記録的に描かれていて、おもしろかった。(この票の参照用リンク)