第2期 #14

ちゃろ坊

 坂を登りきってから振り返ると、ちゃろ坊はまだその短い足でてくてくと駆け上がっている途中だった。
「ちゃろ坊!」
 顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せて、私の言葉にはなにも返さず、なおも走る。やがて私のいるところまで来ると、そのまま、私のほうをちらりと見ることもせず、坂を下りはじめた。ちゃろ坊の向こうにはたくさんの家があって、その向こうには夕陽がある。目をそらすと、飛行機雲が見えた。
 私がちゃろ坊に出会った、というか見つけたのは今朝のことで、ジョギングをしていると、道の真ん中に小さな男の子が座っていた。足を止めて「おはよう」と言ったけど何も返してこないからそのまま走り過ぎたら、その子は私の横を思い切り走リ抜けて行った。どうせ疲れるだろうと思っていると案の定疲れたようで座り込んでいたけど、私が追い抜いたらまた立って私の横を駆け抜けた。「名前はなんて言うの?」と後ろから声をかけたら「ちゃろぼ!」と返ってきて、「茶太郎、とか?」と訊くともう何も答えはなかった。
 毎日走っている私と同じペースで走れるわけもないから、追いつかないようにゆっくり走り、そのうち歩くようになって、ちゃろ坊が道端に座り込むと私もその隣に座った。おうちはどこなの、とか訊いてみたけど答えはない。おなかすいたでしょ、と言うと口をとがらせたから、待っててね、と言って近くのコンビニでサンドイッチとジュースを買ってきた。あっちで食べましょ、と公園に足を向けると、ちゃろ坊はすぐに私を抜いて走りはじめ、私はゆっくりついていった。
 それからずっと一緒にいる。ちゃろ坊はぜんぜん喋らない。私より前を行こうとするけど待っててと言えばちゃんと待っている。猫を見ればえくぼができて、犬を見れば私に寄ってくる。ジョギング姿で一日過ごすのはいやだったけど、うちまでは遠いしあきらめた。いちど交番に連れていこうと思ってその近くまで走ったら、ちゃろ坊は追いかけてこないで、離れたところにじっと立っていた。その顔が今にも泣きそうだったから、私はすぐに引き返し、またべつの方向に向かった。
 町には灯りがともりだした。長くのびたちゃろ坊の影が揺れている。夕陽に向かって駆けていくちゃろ坊、という言葉を頭に浮かべて、それがなんだかおかしくて口元が緩んだ。
「日が沈んだらうちに帰ろうね」
 と言って坂を下りはじめた私は、このままずっと夕暮れが続けばいいのに、と思った。



Copyright © 2002 川島ケイ / 編集: 短編