第2期 #6

秋の終わりの物語

その男は夜遅く帰宅した。
家に入ると男はコートを掛け、手際よく暖炉に火を起こした。
ついでに遅い夕食となるシチューの残りを火にかけると、男は年齢を感じさせる足取りで安楽椅子を暖炉に寄せて、ゆっくりとそこへ体を沈めた。
疲れたのだろう。男はひび割れた指を組み、少しまどろんだ。


ところがまだシチューが温まる前に、男はある音に気付き目を開けた。
それは玄関にあるコート掛けから聞こえるようだった。
男は立ち上がり、玄関に向かう。
その音はコートの下の方、ポケットの辺りから聞こえている。
男はポケットへ耳を近づけた。
それは間違いなく少女のなき声だった。
男は驚きながらも恐る恐るポケットを覗く。
だが、なかは空っぽだった。
しかし依然としてなき声は続いている。
少女のそんな声を聞くことが男はまったく苦手だった。
男はしばらくオロオロした挙句、声をかけてみた。だが少女はなくばかりで答えない。
男はなおも言い方を変え、不器用なりに優しく少女をなだめたが、少女はどうしてもなき止まなかった。

急にコートに話し掛けている自分が滑稽に思えた彼は、一度椅子に戻ると、聞こえないフリをしようと努力した。
しかし、いくら薪がはぜる音や外を行き交う風の音に集中しようとしても、男は少女を忘れることができなかった。
男はどの音よりもその声が気になったのだ。


――ああ、これは迷子の時の声だ――
男は昔を思い出した。
――あの時の私は不安で押しつぶされそうだった。ようやく母さんに見つけてもらって抱きしめられた時、馬鹿みたいに泣いてしまったなあ。この子もきっと今、安心できる誰かに抱きしめてもらいたいんだ――
男は再び立ち上がると、胸にコートを掻き抱き、暖炉のそばまで持っていった。例え自分がその誰かでなくても、この子のために何かしたい、暖かければ少しは落ち着くかもしれないと思ったのだ。しかし少女は変わらずなき続けている。男は途方にくれながらもコートに話し掛け続けた。


突然、男の家を激しい風が殴りつけ始めた。硝子に落ち葉が吹き付け、窓枠がガタガタと音を立てる。
その風は明らかな意思を持って男に何かを訴えていた。
男はその激しさにようやく全てを悟り、コートを掴んで外へと飛び出す。

途端に今まで吹き付けていた風は止み

  凪いでいた少女はコートを一度はためかせると


           一陣の木枯らしへと戻っていった。



Copyright © 2002 和泉志紀 / 編集: 短編