第62期予選時の投票状況です。9人より20票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
7 | キメラ | qbc | 4 |
1 | 8本足の秘密 | YUKI | 3 |
3 | 闇夜の果てへの旅 | 三浦 | 3 |
5 | 宛名のない手紙 | 黒田皐月 | 2 |
9 | 生きてる象の解体現場 | 朝野十字 | 2 |
16 | ロードムービー | るるるぶ☆どっぐちゃん | 2 |
4 | 愛を伝える | 藤袴 | 1 |
6 | 百円の正直(1000文字版) | わたなべ かおる | 1 |
10 | チューズデー | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 1 |
15 | 鳥が瓶を食べ、熊が釘を食べる | 咼 | 1 |
描くべき情景と、書きたいことを具えた良作だと思います。
現実にはありえないもののオブジェを指してキメラと呼びそれが社会を諷刺している、ひとつの言葉に対してそれだけのことを盛り込めたことは、素晴らしいと思います。(この票の参照用リンク)
まともに読めたものがこれだけだった。読み終わって、上手いと思った。何が上手いのか。たとえば、伏線がある、というだけでも、上手い。
『その全てに対して気違いは「知ってる」とだけ答えた。』
「気違い」という人物の性格、それを囲む「子供達」の気持ち、そのことを書く「俺」の目線、それらを同時に描いてなおも、これは伏線として機能する。
気違いがいて、子供達がいて、俺がいる。社会の中心から離れた登場人物が、ここでは生きている。生きている、と、読む私に感じさせる。qbcという名の作者は、この千文字のすべてに存在するはずだが、どこにも存在しないように感じる。
上手い。しかし、上手いだけではない。
この物語にはなにかがある。読み終わったあとに、何かが残る。それがなにか、ことばでは説明できない。小説というのもはそういうものだと思う。(この票の参照用リンク)
個人的な趣味と感覚で一票入れさせてもらいます。
個人的には最後の文章の「酷く弱々しく、気違いが言った」と「私なら知っているよ」の順序を逆にしてほしかったです。(この票の参照用リンク)
「キメラ」っていうただならぬ語感の勝利。キメラ。キラキラ。
あまりにも素敵な言葉。ペン先で転がして愛でたくなってしまうような言葉。
「キメラ」可愛さに、この作品を書いたのではないか。(この票の参照用リンク)
普通は並べられることのないふたつを寓話によってつなぐことは、まず柔軟な発想がなければできないことだと思います。それを二回も行ったこの作品は、賞賛に値するのではないでしょうか。(この票の参照用リンク)
クモがカニになるところがおかしくて好きです。(この票の参照用リンク)
8本の足を通して次々と展開されるお話に活字をあまり読まない私でもすんなり読み通す事ができました。こういう「お話」はやっぱりオモシロイと再認識させてくれたので一票です。。(この票の参照用リンク)
「憐れまれているんだ、屍に」というところが印象に残りました。(この票の参照用リンク)
三浦氏の作品は、書き方がきれいなのだと思うのです。
美しいものは美しく、そうでないものもきれいな中に泥臭さのようなものを匂わせて、そうしてきれいな作品に仕上げられているのでしょうか。(この票の参照用リンク)
個人的にいろいろと無い頭を使わねばならない仕事があって、なかなか全作品を読めませんでした。最終日に至るまで投票がいつになく少ないようで、勝手に心配になったので、仕事前にちょっと読ませて頂きました。なのであまり期待しないで下さい。と長すぎる前説終わり。
全体を読んだ印象では、いつになく詩的に振れた作品が増えたなあという感じでした。それも否定的な評価ではなくて、けっこうレベル高いんじゃないのと思いました。
特にこの作品は、なんとなくフランス象徴詩を連想させるものがありました。ボードレールとか。って私も最近短い論文を一つ読んだばかりで、これから暇な時に読んでみようと思っているのですが。(海)(この票の参照用リンク)
『だって寂しいんだもん。どうしたって寂しいんだもん。だから、声をかけてください。きっと来週もバッティングセンターに行くから。だから』
・・・・・・という一文をどう受け取るか? これはかなり書くのが恥ずかしいと思う。作者自身、いずれこの部分の恥ずかしさに気がつくときがくるんじゃないだろうか、と思いました。
が、この文のような感情の素直な爆発を書いたことがないまま作家になった人を私はなんとなく信用できないように思えます。小手先を磨くこと、語彙をいじくることも大事ですが、まずはその作品に対する作者自身の情熱から始まらなければ、普遍性は獲得できない気がします。今期の作品を読みながらそんなことを思いました。(ロチェスター)
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切手云々よりも差出人が書いてない方がよほど郵便屋さんには迷惑では。とも思うのですが、この語り手の天然さが浮かび上がって来るような気がします。
私はあえてねじ曲げて深読みしました。たぶんある特定の人物(たぶん男性?)に対するストーカー的な思い(末尾で暗示されているとおり)を語ったものだろうとは思うのですが、それよりこれは私小説書きの内面として読むと、非常に味わいがあると思いました。(海)(この票の参照用リンク)
マニュアルだけで随分無茶な仕事をさせているところと、肝心なことがマニュアルに書かれていないというのが面白く感じました。(この票の参照用リンク)
朝野さんの作品はいつも思わぬ仕掛けというか、確乎とした目的意識をもって書かれているらしくて、読者としては見当違いの読みをしていたなあと思うことも多いのですが、この作品についても『花の卵』と同様、夢の不条理を表現したものと私は読みました。それも単純にうなされるような悪夢ではなくて、現実と全く違う手触りでありながら、問題なく成立しているような世界です。明晰なところがかえって怖い。(海)(この票の参照用リンク)
一服の清涼剤。(この票の参照用リンク)
気持ちよく読みました。言葉の羅列でこんなリズムがうまれるなんて、やっぱりるるるぶ☆どっぐちゃんはすごいや!と思いました。普通、もうちょっと単語の使いまわしに時代性(メディアの影響とか)を感じるものなのに、そんな臭みがまったくない。中途半端な悲劇ぶりや自虐もない。
(でも、クラシック音楽に対する偏見はいつも変わらない)
(ロチェスター)
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黒田さんの作品と同じ点で評価します。これはただ「あいしてる」という言葉を繰り返しているだけで、まったく「愛」の中身が書いていない。だから読み終えると「愛ってなんだ? 愛ってただの言葉なのか?」と思いました。「この一言で全ては記すことができる」ってラブレターとして最低だと思います。
しかし、これを作品として読むと、裏返してみれば、愛というのは結局、どう表現したってただの言葉の羅列と同じくらい薄っぺらいものかもしれないんだ、と読めてくる。いかに相手が好きであっても、それは言葉で伝えるには限界がある、結局は“概念"にすぎないんだ、と思えてくる。なかなかさびしい話ですが。
考えさせてくれる作品でした。
(ロチェスター)(この票の参照用リンク)
言わんとすることがとても分かりやすく伝わってきて、そりゃそうだよなあと思わされました。(この票の参照用リンク)
短編ミステリ(?)の一場面という感じの語り口で、これだけだとさすがに物足らないんですがそれでも面白かったので。(この票の参照用リンク)
文章に切れと非凡な発想で、読んでいてわくわくします。ありきたりな小説に胃酸過多ぎみだったので・・・。(この票の参照用リンク)