第219期予選時の投票状況です。6人より17票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
5 | 渇して井を穿つ | なこのたいばん | 4 |
2 | お先に失礼します。 | テックスロー | 3 |
1 | 柘榴の一枝が闇をはらう話 | 瓶八 | 2 |
4 | 湖西線に乗って | 千春 | 2 |
6 | メリクリ | 糸井翼 | 2 |
8 | traveling | 世論以明日文句 | 1 |
9 | 出会いと別れ | わがまま娘 | 1 |
10 | 67482円の男 | ウワノソラ。 | 1 |
11 | 未完で散って | kyoko | 1 |
それが? なにか? あ、引きこもりの話か。 いままでとか、
これからとか、、、
話を作るんだな。。。 ??? と、感じた(この票の参照用リンク)
置き手紙に悪態をつきながらも完食する主人公はきっと優しい。
ささやかな幸せみたいなものを表した話しだった。(この票の参照用リンク)
短いけど作品としての骨がしっかりしていると思った。
夜食を食べて勉強する姿、浪人生でも司法試験勉強でもいいのだが、
その姿がクラシックだなあと思った。今もこういう学生って、
結構いるのだろうか。効率性重視で、それこそスマホで要点を
まとめたサイトを飛んで行ってサクッと勉強する人も増えている中、
やっぱり書いて覚える、もしくは論文を書く? という作業が
昭和臭くてよかった。いっそ主人公がラノベ作家志望だったら、
ますます作品とのギャップがいいと思う。いや、でもラノベ作家も
もう古いのかな? ペンを動かすという仕草がそもそもクラシックで、
それが何とも物悲しい。(この票の参照用リンク)
現役の大学受験生か、浪人生か、現役大学生か、司法試験受験生か、無職が板についているが就職のための試験勉強に取り組んでいる受験生か、主人公の青年の人生の現在地をどこに取るかによって読み味も変わってくるが、どこにとっても大丈夫かと思う。
夜食の献立と深夜に起きてくるであろう息子への書置きで表現される息子想いの過保護な母親、タバコの持ち主として登場する父親、描写が適切で家庭の様子の大枠が掴みやすい。
でっぷりした腹、無精髭、「右手が股間に伸びかける」というアイテムで主人公の汚らしさと不摂生を、母親のことを「ババア」呼ばわりし「空になった小皿をテーブルに残す」で精神の未熟さと傲慢さ、親不孝さが描写される(現役大学受験生というよりはもう少し年上のより鬱屈した孤独な青年に見えるのは煙草の描写とこのへんの描写による)。しかし「『天の川みたいだ。』言いかけた自分の気持ち悪さに」という自己認識や「ペンに持ち変える。」で、墜ちきってはおらず現状から脱しようともがいている青年の苦しみが見えて、私は応援したくなる。タイトルが示唆するところでは、今回の試験は望み薄らしいが自業自得というものだ。本文を補うようなタイトルのつけ方も良い。
短いが、この字数で完結していると思われる。過不足は感じない。主人公の肩書きを明確にする必要は感じない。このオチとこのタイトルで行く場合、青年が何者であるかは重要ではない。改行をたくさんしなくても伝わるので、もっと読者を信じてほしい。(この票の参照用リンク)
前半部分が秀逸で、にやにやが止まらない。
犬と猿と雉の個性が凄い。相手に応じて放たれる桃太郎の誘い文句が素敵。(この票の参照用リンク)
どこかシュールな桃太郎で面白く、短編小説っぽい作品だと思います。
健吾と桃太郎の関係が切ない感じがします。友達だったのに、いつしかただついてきているだけの仕事ができない人になっている。ただ一緒にいるだけの純粋な関係よりも仕事を一緒にする関係の方が強くて、友情なんてそんなものなのかな、と思ってしまいます。(この票の参照用リンク)
桃太郎アレンジ。一読してわかり、深く考えずに楽しめて、言葉の選択がこなれていて、千字作品として過不足がない。おそらく作者の意図するモノも書き切れている。
二週目を読めば、犬・猿・雉・桃太郎・健吾のキャラクターがある程度書き分けられていて、それぞれ「らしい」ことに気づく。雉と犬猿では描写の量に差があるが、これで問題がない。
三週目。桃太郎伝説の真実を書いたような話にも読めるが、やはり「今や友情以上の絆で結ばれている彼らの間に響く友だちという言葉の幼稚さ」という核心を突くような指摘がよく、健吾というキャラクターの内面の物語にも、人間世界で起こりうる人間関係の描写にも読める。雇用者・被雇用者という関係性の桃太郎一行の中に、「友達だからいるだけでいい」存在の健吾を投入し、その健吾も特に変化せず「いるだけ」であり続けて冒険を終えたのが面白い効果を生んでいる。「定時だ、お先に失礼します」のフレーバーもあって、桃太郎を社長としたベンチャー企業のスタートアップと事業安定後の健吾お荷物問題を扱っているようにも読める。
四週目。桃太郎も最初から健吾に物語を書くように指示した訳ではない。はじめは確かに「友達だから、いるだけで良い」だったのだ。桃太郎が変わったのは、犬が恩返しをしたいとついてきたときだろうか、献身的な犬と何もしない健吾の対比に愕然としたときだろうか、猿との契約との際に忠誠を誓わせたときだろうか、雇用希望者(雉)の希望を曲げてまでこちらの要望を通したときだろうか。それとも最初から桃太郎は変わらず、きびだんごの見返りにある程度の働きを健吾にも(友達だし)期待していたが、まさか健吾が本当に何もしないとは思っておらず、より具体的な契約の取り付けをするように変化していったのか。当初の約束を違えてまで健吾に具体的な労働を課したのはなぜだろうか。遅くとも投資したきびだんご分の働きを回収していたのか?それとも桃太郎は健吾を尊敬したがったのか。つまり桃太郎は犬猿雉と雇用関係を築いて心のつながりを得た経験を生かし、健吾に具体的で健吾にもできそうな仕事をあてがいその成果を評価することで結びつきと仲間意識を回復しようとしたのか。いずれにせよ、桃太郎は健吾の能力に失望し物語を外注している。
「それでも筆を止めない理由を問おうとする頭を叩くようにチャイムが鳴って」健吾が健吾自身に理由を問う自問自答だろうか。そうであるならばなぜ?というところで書き手は筆を置き、想像の楽しみは読者に委ねられている。私が感じた健吾のキャラクターで解釈するならば、桃太郎と当初交わした「何もできることはないが、ついていく」という約束を無意識に律儀に守っている健吾なりの無自覚な友情のあり方であるとしたい。定時にチャイムがなるような場所へ出社して物語を書いている謎は残る。
七色に読み味を変える作品で、まだまだ読み落としもありそうであり、読み手によって解釈も違いそうである。楽しみました。(この票の参照用リンク)
話を作る小説に感じた。(この票の参照用リンク)
”周公”といえば周公旦が著名で、酒見賢一氏の著作が知られていますね。本作は歴史的雰囲気を醸し出しながらも、病んだ女性と見舞う男の不思議な心の交流が玄妙に描かれていると感じました。(この票の参照用リンク)
お話の主人公は仕事をがんばってきた人なのだと思います。電車で車窓を見ながら、あるいは演劇を見て、気づきを得た。仕事から離れて一見無意味に見える時間が人にとって大切だということ、その時間をうまく活用すれば世界が広がっていく可能性にあふれているということ、「替えが利かないのは時間だけ。あとは時間を投入し正しく努力すれば実現できることばっかり。」という印象的な文とともに、感じるところがありました。
小説を読んだり書いたりすることもそんな気付きを与えてくれる時間だと思います。家庭と仕事ばかりの窮屈な日々の中でも、良い時間を大切にしていきたいものです。(この票の参照用リンク)
琵琶湖線だと、響きが悪いし、そもそも琵琶湖が見えないので、
湖西線というチョイスは非常にいいと思った。実は湖西線は乗ったことが
ないのだが、Youtubeで作品とちょうど同じ車窓風景を見ることができた。
本当に便利な世の中だ。志賀から近江舞子くらいの車窓がよかった。
取り留めないことを考えるにはうってつけの時間と景色だと思った。
移動時間というのは、動いているから、どの空間にも位置を
占めていないし、時間もただ動くことに費やされているので、
かちっとした時間と空間から解き放たれているのだと思った。
だからこそ、自分の立ち位置なんかが客観的に考えられるのだとも思った。(この票の参照用リンク)
この方の作品は物語の組み立てが上手いなぁと思う。アイディアを上手く消化している感じ。
子どもの夢を壊さないのもサンタの優しさだね。(この票の参照用リンク)
季節に合っているから、という理由もありますが、優しい人々の心の交流に心温まる思いがしました。幸せを願うが故に別れた男に対して、心のこもった贈り物が届けられました。無愛想な一言がいい味わいを出していますね。”何かと手間”なことをするのを、悪くないと感じているのでしょう。(この票の参照用リンク)
なんかね、想いとか、魂とか、希望とかが、幽体離脱みたいにして、
踊りだす感じだと思った。全体的にキラキラしていてよかった。
願いがね、空に、飛んでいけばいいと思ったし、飛んで行っている
はずだし、それはまあ、かなうね。(この票の参照用リンク)
風が吹き込んで、、、どうした。これから話を作るんだな。と、
感じた。
+++
同様 >>あまのじゃく
、
逃げ出してどうなるのかな? ああ、このあと話を作るんだ、、、と、感じた。
あまのじゃくのほうが、、、著者の、、、
だが、コイントスで、次作品を推薦。(この票の参照用リンク)
小学生くらいの弟もいて猫もいて実家暮らしできるような家ではなさそうだから、たぶん家庭を持った若い男性で男の子は息子なのではないだろうか。と想像する材料は与えられているように思う。あとは、付き合っていた男がただ金を貸しているだけの男となったという、主人公の主張が真か強がりか、白黒つけられない微妙な感じの表現が小説的であるとも言えるかなと思って三作目はこれにしました。ちょっとかわいそうです。(この票の参照用リンク)
「まあ、いいか。」は諦念ではなく、自分の持てる力の範囲内で為すべき事を為し続けてきた満足感からなるものなのでしょう。「締め切りは来月だった。」つまり『人間失格』ほど巷間に知られることはなくとも、自らを食わせるだけの結果を出していた人だったことが分かります。理想の人生の”散”り方かもしれません。
『湖西線に乗って』も迷いましたが、”時間を投入し正しく努力すれば実現できる”のは、所定の時間内に適切な努力量で結果が得られる有能な人の話、と思うと、ちょっと引きました。正しく努力することに時間を使えるのも能力だと思います。ただ、次は“腹を抱えて笑”って欲しい、と思いました。
『色のないキャンバス』は恐ろしいですね。これが現代日本で数多く行われている教育の風景です。(この票の参照用リンク)