第219期 #11

未完で散って

走馬灯とは本当にあるのだと身をもって知った。
そう感心する自分と脳内を様々な景色が過ぎ去ってゆく様を、ただ見つめている自分がいた。傾いて行く景色の中、視界が地面に叩きつけられるその時まで。

恥の多い人生であった。
などというと某有名小説をどうしても彷彿としてしまうが、あのようなハンサムな人生ではもちろんない。
絵本から始まった私の読書人生は中学の図書室といういかにもな場所で、一生を文学に捧げるという誓いを立ててしまった。ローティーンの柔らかな聖域はこの誓いを誰かに笑われでもしたら簡単に傷ついてみっともなく声がうわずってしまうのがわかっていたから、ひっそりと大切に大切に肉の内に囲い、ひたすらに産毛を撫でて愛でた。いつか必ず、日の目を見せてやるから。誰の目にも立派な錦を飾ったら、中学生の時からコイツはここにいたんだと、これ以上ないほど鼻を高くして皆に見せてやるから。
そうして幾年月。
錦どころか折り鶴すら飾れていない。
だが肉の内にある誓いは変わらずに愛しく、人生は長い。
そう思っていた。

天気の良い日だった。
今日の執筆を終えていつもの散歩道。
少し前の角からボールが転がり出る。
向こうからは大きなトラック。
ああ、これは知ってる。免許の更新の時によく見るやつだ。
そしてボールを追いかけて子供が飛び出してきた。
なんとベタな展開であろうか。
そうして私は子どもを庇い、トラックに轢かれた。

瞬間的に兄や両親の顔が浮かんだが、叩きつけられた衝撃で全部口から出た。
残ったのはまばらな思考。
固い地面にバウンドしながら、私は今夜見れるはずだった流星群を思い、冷蔵庫にある刺身の漬けを思い、机の上にある原稿を思った。あと少しの、完成間近の。締め切りは来月だった。

横になった視界の向こうで母親らしき女性が叫び、子どもを抱きしめている。
その手には絵本があった。
2匹の齧歯類がさまざまな冒険をする絵本だった。
私が最初に心奪われ、どこに行くにも持ち運び、親に怒られたあの絵本だ。ズタボロで、今も部屋のどこかにあるあの絵本。
私は徐々にぼやけていく視界の中で子供の顔を見、また女性の持った絵本を見た。
口から生温かい命が漏れ出していく。

まあ、いいか。

救急車のサイレンの音がだんだんと遠くなる。
ああ、この体験もいつかネタに使えるなぁ。
血だらけでにんまりと笑う女を、子どもは怯えた目で見下ろしていた。



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