第137期予選時の投票状況です。6人より17票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
17 | 老人と海 | こるく | 5 |
13 | 三日月の夜の帰り道 | 西直 | 4 |
7 | あそこのラーメン屋 | かんざしトイレ | 2 |
12 | 女とコーヒー | qbc | 2 |
10 | 巡礼 | 吉川楡井 | 1 |
11 | 育つ毛 | しろくま | 1 |
14 | 面積の求めかた | 豆一目 | 1 |
16 | 午後二時、グリーン車 | (あ) | 1 |
海を抱えることはできない。海には雑多なものがあふれていて、シニフィアンでさえすべてを捉えることはできない。だからこそ、「波の音」「海鳥たちの鳴き声」が「海」の音だというのは一端に過ぎない。「海」とはそれだけ莫大な音の宝庫なのである。
ところが、それらの音だけで紛れもない「海」を思い描けた語り手と同じくして、読者である俺も「海」を思い描いたのだった。慣れ親しんだ記号的表現の先に広がる「海」が、物語をたしなむ際の原始の海だと思うと、ほっこりしたりもした。
ラストはオブライエン「墓を愛した少年」なんかを思い出したが、本作の潮騒も、墓というスピーカーを通すとより透徹な響きを聴かせてくれるだろう。生きているから素晴らしい、なんてばからしい。
(作者の没後、センセーショナルに売れ出す出版物などとは違う次元の話で)
死してからこそ煌めくものこそ美しい。ひときわ美しい。
(楡)(この票の参照用リンク)
ヘミングウェイを思い出したが、話の内容は全然違う様だ。でもテイストが合ったみたいだ。(この票の参照用リンク)
タイトルの大胆さに驚きました。何する気かと(多少否定的な気分で)身構えて読んだところで、内容が衒いもなくいい話でほっこりしました。(この票の参照用リンク)
疑問点があったり文章的なところ(代名詞が少し多いかな)に引っかかりはあるんですが、話の流れはとてもいいと思いました。(この票の参照用リンク)
「とっておきの細工」ということで。ギミックなのだろうなのだろうとおもいました。
大学病院では海の音がしていないのでコントロール可能なのだろう。でもしんだら微弱になってしまうのはふしぎだ。
体内から音が流れていたなら、家から音がすると感じるほどの音量流していたら、耳がすごいことになりそう…。
とは思うものの、老人の死後、小さな島まで墓参りをして墓石に耳をあてる青年がかわいいので一票。綺麗な風景はよいですね。(この票の参照用リンク)
またまたギリギリに取り急ぎ投票します。ごめんなさい。
今期はこの作品がやはり一番印象に残りました。
食べ物として月を見ると言うのは楽しい発想。自分の中では満月はふっくらした白桃のようなイメージで、三日月はホワイトチョコレートのようなカリッとした食感のイメージがあるのですが、どうでしょうか。同じ月でも想像してみると全然違うもののように思えるから面白い。(この票の参照用リンク)
タルホイズムである。
シニフィエ・シニフィアンの話をするつもりはないけれど、「三日月」ということばが出しゃばりすぎているようで、目に余った。
俺が書こうとしたら「三日月」はぎりぎりまで使わずに(「それ」とか「弓なりのもの」とかはぐらかして)最後の最後で空に浮かぶ三日月と並べてみせたり、――あるいは「白桃」や「チョコレート」に並ぶ素材としての「三日月」に、できる限りの想像を注ぎ込んだりしていただろう。アクの強い幻想が好きな人間としては、タルホイズムは少々味気ないのである。
しかし、時折はさみこまれるリアリティのある諸々(「コンビニ」や「孤独のグルメ」やら)が、一方向的に進みそうなメルヒェンを実在感という膨らみをもった夜想に仕立て上げている部分などには、目をみはる。
固有名詞は息が短いとよく言われるが、つまりそれは、少し先の未来を先取りしてノスタルジィを放ってくれるからなのだと思う。(私たちが現在を見るとき、それはもはや過去になっているのと同じことか)
ともかく、そんなタイムカプセル的イメージもゼリーで固められたような月夜にお似合いのよう。
(楡)(この票の参照用リンク)
三日月や満月は食べ物の象徴なのか。チョコレートとの絡みで何か意味深な主役物ですね(この票の参照用リンク)
三日月って食べものだったのですね。満月も。
そして甘いんですね。満月は白桃みたいで、三日月はケーキとあわせるとおいしい。
どんな味なんだろうなあ、って一生懸命想像しましたが、あまりよく浮かびませんでした。
けれどグラスが青みがかっていたり、屋台だったり、食べなくとも眼に楽しかったです。(この票の参照用リンク)
ぽっと現れる「あそこのラーメン屋」というイメージ。肉付けされていく歴史。
兄の説明で構築された――つまり読者に対し提示された――物語中の根幹となるべき「あそこのラーメン屋」というシーニュ【記号】が、また別の媒介によって解体、かたりなおされていく。
誰もウソはついていないのだろう。憶測と記憶ちがいの物語としてではなく、シニフィカシオン【記号の意味作用】への信頼崩壊の物語として読みなおしたら、近所の「みそ伝」(某市内にあるラーメン屋)のからしみそラーメンを食いたくなったので、◎。
(楡)(この票の参照用リンク)
登場人物は兄と弟と母と父だけだ。しかし必要にして十分な程、足りて居て、無駄が無くむしろこの小説に生彩を与えて居る。最後だけ出て来た「父」も外せないキャラだろう。(この票の参照用リンク)
淡々とした空気感、なにもはじまらずなにもおわらず、でも何かが少し確実にはじめとは違っている。こういう雰囲気の小説が自分はとても好きです。(この票の参照用リンク)
沈黙したところが好みだったので。
「僕」が意思を明確にしたがるところは話の好みとしては外れるんですが、「僕」の性格を考えるとそれが自然かなということを思いました。(この票の参照用リンク)
まず文章の流れやリズムと、言葉自体がきれいだなと思いました。読み進むうちに少しずつ状況がわかってくる流れも好きです。締めの台詞がすごく良かったです。(この票の参照用リンク)
語り口が好きです。すごく深刻に悩んでいるのに、妙に落ちついていて、ギャップに笑ってしまう。
その悩みが鼻毛が育つなんてことも、それは悩ましいけど、なんだかぬけていて、深刻な感じはあまりしない。
友達の反応わかる。主人公もうちょっと必死になれよ…?
おもしろかったです。(この票の参照用リンク)
こわい。祖母が無反応なのもなんかこわいです。(この票の参照用リンク)
「少し前に遡る」がドラマや漫画のようで、それが不自然ではないところに。最初はあっさりした話だなあと思ったんですが、何度か読んでいくといろいろ想像できて面白かったです。(この票の参照用リンク)