第137期 #13

三日月の夜の帰り道

 月の出ている夜にしか、その屋台は見かけなかった。「屋台」なのに屋根はなく、月の光がそのまま台を照らしている。台の上には色とりどりのグラスやコップ、お猪口、小さな桶といった入れ物が無数に並べられ、その全てに水が張られている。丸い水に三日月が映る。風が吹くと水面が揺れ、その三日月がゆらりと泳いだ。
 駅前から続く商店街には洋菓子店があり、わりと遅くまで開いていた。洋菓子店から十メートルほど離れた場所に屋台が出ていた。私は洋菓子店で買ったチョコレートケーキが入った箱を指に引っかけるように持ち、屋台の前で立ち止まった。
「三日月ひとつください」
 私がそう言うと、屋台の店主は「はいよ」とあまり口を開かずに返事をし、どれがいいか選ぶように目と手の動きで促した。私が青みがかったグラスに浮かんでいた三日月を指差すと、店主は台の上に置いていた箸を取り、グラスの中から濡れた三日月を取り出した。
 ケーキの箱を開けて店主に差し出す。店主は軽く三日月の水気を切ってから、中のチョコレートケーキにさくりと刺した。青みがかったグラスには、もう月は浮かんでいない。
 三日月は満月ほど甘味が強くなく、しっとりとしたほのかな甘さがある。とけかけたアイスキャンディほどの硬さと冷たさで、チョコレートケーキにちょうど合うのだった。
 お金を払ってお釣りをもらうとき、背後に気配を感じたので場所を譲った。「いらっしゃい」と店主が私の斜め後ろに向かって言うと、「満月とかないですか?」と背後にいた次のお客が聞いた。
「ゼリーで固めたのならありますよ」
 店主の言葉に次のお客は少し迷った様子を見せたものの、「じゃあそれください」と財布を手にする。店主は台の下から満月のゼリーを取り出した。コンビニなどで売っている白桃のゼリーに似ていた。こんなのもあるんだ、と孤独のグルメみたいなことを思う。
 私はケーキの箱を閉めて、屋台を離れて帰り道のほうに歩き出した。背中から「ありがとうございました」と声がかかったので、斜め後ろのほうに目線をやって軽く会釈した。
 道すがら、こっそりとケーキの箱を開けて中を眺めた。こげ茶色のチョコレートケーキに青みがかった白の三日月。そのコントラストが目に楽しい。三日月の端をフォークで割って、チョコレートケーキの一欠けと一緒に頬張る、そんな場面を想像して、お腹が鳴りそうになりながら、私は三日月の夜の帰り道を急いだ。



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