第137期 #14
あああ〜う、という、猫の声とも赤ん坊の声ともつかない音で私は目覚めた。
目を開けると、煤けた天井が見える。目線を動かす。部屋の隅で二歳くらいの子供が画用紙に落書きをしている。
ここは、……実家の、二階の寝室。あの子は――あ、そうだ、私の子だ。いやだ、なに寝ぼけてるのかしら私。
「何してるの?」
ぽったりとした後ろ姿を眺めながら声を投げる。
答えはない。ぽてぽてした小さな手が、赤いクレヨンを包み、白い画用紙の上を赤の線がグリグリと侵食していく。
覗き込むと、それは絵ではなく羅列された数字だった。
3.1415926535…
何だか見覚えがある。何だったかしら。……円周率? ……円周率?!
自分の心臓がドドッと跳ね上がる音が聞こえた。
…979323846…
はっきり覚えていないけど、授業で暗記させられた、あの教科書についていた円周率の表、あの数字と同じ……ような気がする。あの教科書はどこに……私の部屋にあるよね、多分。
画用紙への書き込みに夢中の我が子を視界の端に入れながら、後ずさりして自室に向かう。
整頓された部屋で、教科書は簡単に見つかった。
頁をめくる手が震える。合ってる。合ってる。画用紙の落書きと、寸分違わず。
…5028841971…
我が子を抱き抱え、興奮しながらも慎重に、私は階下へ降りた。
リビングでは母が新聞を読み、祖母がスルメを切っていた。
「母さん」
呼び掛けると、母が新聞から顔を上げて私を見る。
「あら、ゆかり。起きてたの。気分どう?」
「最高」
えっ、と母が驚いたような顔になり、それから良かったわね、とにこりと笑う。私は興奮していて、母にどう切り出すか悩み、結局ストレートに切り出した。
「あのね、母さん、この子天才かも!」
そういって円周率が書き込まれた画用紙を母に見せる。
母は、ふっと静かな顔になると目を逸らし、そう、と呟いた。
それきりだった。部屋には祖母がスルメをはさみで刻む音が響いている。
なんで?
思わぬ反応の冷たさに私はたじろぐ。そりゃ、親バカかもしれないけど、しれないけど――おや……私の、子供の、名前何だったかしら?
我が子を抱いていた右手を見る。
クマのぬいぐるみ。
あれ? あれえぇええ?
手にしていた画用紙を見る。
白紙。
祖母がスルメを切る音が部屋の中に響き渡る。
あああ〜う、と、獣とも人ともつかない声が、私の口から漏れた。