第137期 #16
またしてもモコはグリーン車に足を踏み入れてしまった。昔体験した奇妙なできごとを思い出した瞬間、モコの後ろで音をたててドアが閉まる。引き返せなかった。窓の外の光景から色彩が失われていく。ついには全てモノトーンになり、そしてホームにいる人々は動きを止めた。
一方、車内には何の異変も感じられなかった。やっぱり前と同じだ、とモコは思った。やがて前方に男の子が座っていることに気付いた。奴の仕業に違いない。
少し前に遡る。
モコは普段使わない階段にいた。見上げると電光掲示板があって、知らない駅名がせわしく点滅している。振り返ると地下通路は薄暗かった。考え事をしていたので、間違って一つ手前のホームへの階段を上ってしまったのだ。モコは小さくため息をついた。
今日は適当な理由で半休にしていた。オフィスにいたところで仕事はない。会社のこういう好き勝手できる緩さをモコは気に入っていたけれども、実際のところ経営はやばげで、スパッと解雇されそうな気がしていた。それで、転職活動しなくちゃ、でも面倒……、などと考えていたところだった。
引き返すのが億劫に感じられたので、モコはもう一度ため息をついた。すると急に、思い付きが頭を占拠しはじめた。何でもいいから来た電車に乗って、どこか遠くに行ってしまうというのはどうだろう? 幸い今日は天気が良い。駅員のアナウンスが聞こえてくる。モコは小走りになって上った。ホームに着くと、人はまばらだ。そして横には電車が。モコは開いているドアに飛び込んだ。
そこがグリーン車だったのだ。
「ずいぶん大人になったんだね」
と奴、嶋が言う。嶋はモコの田舎の幼馴染で、中学に入る前に病気で亡くなり、霊だか妖怪だかわからないが自然法則を超越した存在になっていた。
「まあ、ね。子供のままの嶋にはわからないだろうけど」
嶋は歳をとらない。モコがグリーン車に乗るたびに現れ、モコの周りの時空をしばらく支配する。
「見て、これ」
嶋は壁を指差す。
「東京近郊路線図。結構変わったよね」
「今回はいつ私を解放してくれるのかなあ」
「モコだけだよ、付き合ってくれるのは。他の友達はJR、使わないし」
ずるいとモコは思った。嶋はこっちの同情を誘ってくる。
「モコって、今一人暮らししてるんだよね?」
「その話はいいから」
でも多分、洗いざらい嶋に話すことになるんだろうな、とモコは感じた。
電車はゆっくりと動き出した。