第137期 #7
「あそこのラーメン屋、なくなっちゃうんだって。残念だよなあ」
弟が買ったばかりのアイスをペロペロ舐めながら言う。兄も黙ったまま、指差された方に目を向ける。
「だってあそこのラーメン屋、ずっと前からやってたし」
「馬鹿め」
兄は弟にチョップをかました。
「あそこはラーメン屋じゃねえ。元々ずっとうどん屋だったんだ。それがつぶれて焼き鳥屋になって、それもつぶれて焼肉屋になって、ラーメン屋になったのはその後だ。つい最近の話だろうが」
弟は痛みにうずくまったが、ようやく顔をあげた。
「そんなこと言ったって俺が知ってるのはラーメン屋だけだよ。あの大将の眠そうな腫れぼったい顔をさ」
「まったく。三つしか違わないのに何にも知らねえな。あの大将はな、放浪の麺職人なんだ。昔からうどん屋をずっとやってきて、評判よかったんだんだが、つぶれちまって、その後はどっかでラーメンの修行をして、奥義を極めて帰ってきたんだ。つまりあそこは元々うどん屋なんだよ」
弟はふくれっ面になった。
「うどん屋、評判よかったんなら何でつぶれるんだよ。おかしいじゃないか」
アイスはさっき落ちたので、棒だけペロペロ舐めた。
「知らねえよ。他人の借金かギャンブルじゃないのか。とにかく評判がよかったんだよ。母さんだってあそこのうどんが一番好きだって言ってたからな。あそこはうどん屋なんだよ」
「母さん、あの大通りに出るとこにラーメン屋があるだろ」
弟が冷蔵庫から出したアイスをペロペロ舐めながら言う。
「あそこって元々うどん屋だったって本当?」
母は編み物の手を休めて小首を傾げた。
「さあ、どうだったかしらね。私がお嫁に来たころには、たしか書道教室だったと思うけれど」
兄は驚いて前のめりになった。
「うそだ。あそこ、うどん屋だっただろ。腫れぼったい顔の大将がやってた」
「ああそうそう。あの顔の膨れた人が元々書道の先生だったのよね。それからいろいろ店が変わったけど、うどん屋もあったかしらね」
「そんな。あそこはずっとうどん屋だったじゃないか。母さん、あそこのうどんが一番好きだって言ってただろ」
母は少し困った顔をした。
「あら、そんなこと言ってたの。ちっとも覚えてないわ」
兄の目に涙が溜まってきた。弟はニタニタした。
「あっ父さんが帰ってきた」
兄は父にかけよった。
「父さん。あそこはうどん屋だよな。な。そうだろ」
「うるせえ」
兄は部屋の端まで投げ飛ばされた。