第137期 #8

引用

 まず、大前提としてこの文章には続きがあります。
 続きありきで考えていくと、文字数に余裕のないことがあらかじめ分かっているので、本編を書く前から続編でまとめようとしていることになります。
 じゃあ、本編が完璧に組み立てられているかといえば果たしてそうでもなく、最初にひらめいた続きの部分に集中し過ぎて本編がおろそかになっているのです。
 たぶんそうなのであって、なんとなくこんな展開があって、その続きはこうだといえる後半部分だけが鮮明になり過ぎて、結句全体がまとまっていないのです。
 じゃあ、前後半をつなげてひとつの文章にすればいいのかといえば、果たしてそんなに簡単にはいかないのも十分分かっています。
「でもおもしろいよ一〇〇〇文字って」
 んっ、そう、ちょっと難しいかもなって、どうしようか、ここ修正しようかなんて気にもなったんだけど、そのまま使ったほうがインパクトもあるし強いかなって、でも結果ありきで展開を考え過ぎて、そうそう、ラストのイメージだけは強くあるけど結句使えなかったりすることの方が多いから。

 四十七年に出版されたある美術雑誌の記事に興味を引くものがあったのでそこからの引用です。
 ものの本質を解説する記事の中で、
「王や独裁者といったある意味分かりやすい敵より、個の集積、例えば民衆や個人といったそれほど力のない人間の、ある意味投げやりな態度(架空の敵)のほうが、その分かりやすい敵よりも手に追えぬものになってしまうと、これはどうにも手がつけられぬ問題である云々……」
 わたしは何年か前にスクラップしてあった記事のコピーを、引っぱり出して打ち込んでみたが、なるほど今でも感心してしまう。こんなことに感心を持っていた自分に改めて触発される。

「主人公にはこのシミが果たしていつからそこにあったのか、またある日突然現れたのかさえ定かではなかった」
「主人公は道路に浮き出た人型のシミを気持ち悪いものだと感じ避けて歩いた」
「主人公の夢の中ではそこで死んだ交通死亡事故者の怨念が具現化したものとして扱われる」

 実験的であっても分かりやすい文で構成したいとつくづく思うのでありますが、それがなかなかうまくいかず、安易に落ちを当てはめてそれで良しとは違う、わたしは本編にも続編にも落ちで終わらせる文は必要ないと考えているのであります。



Copyright © 2014 岩西 健治 / 編集: 短編