第45期予選時の投票状況です。10人より25票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
7 | とりあえず | らいおん◎ | 5 |
25 | ペペロンチーノ・スパゲティ | 曠野反次郎 | 5 |
27 | あこがれ | ハンニャ | 4 |
19 | なあ、われピッツァくいたないか | 宇加谷 研一郎 | 3 |
15 | 菜の花摘んで | とむOK | 2 |
21 | マジック | 西直 | 2 |
24 | ツールドフランス | るるるぶ☆どっぐちゃん | 2 |
14 | 見えない舞台 | 三浦 | 1 |
18 | 小学生 | Gabb-- | 1 |
踊りの輪の中に加わってみたいようなそうでないような。(この票の参照用リンク)
世界中がフィーバーになるほどの影響力がその番組にあったかどうかは疑問だが、大多数が踊り始めたら見てる阿呆も踊らなきゃいかんような気がしてくるのが集団心理だと思うし、細かいツッコミは必要ないのだろう。
物語の帰結点が好ましい。
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新参加の作家さんたちの中からはこの作品を選ばせていただいた。失礼な言い方をすれば私なりの今期「新人賞」ですな。高松君のキャラクターに一票。である。(海)(この票の参照用リンク)
とんでもない言葉に始まって、いったん全部を壊した上で「究極の共通意識だよ」とか言われるとなぜだか思わず納得してしまったりしますが、読み終わるとまた笑いが戻ってくるのは実に面白いと思います。(この票の参照用リンク)
「きっと今日は誰も死なないし、殺されない」に軽く惚れた。(この票の参照用リンク)
うろ覚えなのだが曠野さんが『短編』で関西弁を使ったのは初めてではないかと思う。今まで意識的に封印しておられたのかどうかは判らないけれど、ついに強力な兵器を解禁したなあという感じである。なにぶん創作ではどうもサマにならない、使いにくい方言を母語にしている人間としては羨ましい限りである。
内容についても間然するところなしで、他者の考えていることの理解しがたさ、なんてな説明をするのが野暮におもえてくる。恋人の質問に触発された語り手が、一人であれこれと連想していることもまた、相手には全く通じないにちがいない。その辺が気の毒でもありなんとも可笑しい。(海)(この票の参照用リンク)
暴力的なセックス、といえば失礼かもしれないが、曠野さんがときどきお書きになるセックス描写の「短編」よりも、坂木竜馬をはじめとする「消しゴム」のようなすれちがいな会話で笑わせてくれる「ペペロンチーノ・スパゲッティ」の方が個人的によっぽど好きだ。そこには虚無感を押し殺して笑いとばそうとする明るさがあって、上方落語に通ずるものがある。作家・曠野反次郎の本領はそっちにあるのではないか。私小説的なものを書く曠野反次郎はスタイルとしては格好いいけど、絲山秋子の「袋小路の男」に出てくる作家志望の青年みたいで、それじゃあ曠野さん袋小路から出られませんよ!と思ってしまう。(作品感想と関係ない部分、失礼しました)
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無理問答的な質問にいちいち情報を付け足しながら答えている彼氏に笑いました。
雰囲気もよく、非常に楽しく読ませていただきました。(この票の参照用リンク)
裏に呼び出して「boy meat garlic」について小一時間問い詰めたい。(この票の参照用リンク)
たわいない内容をここまで綺麗にまとめるなんて。
感服しました。(三浦)(この票の参照用リンク)
言葉の選択が絶妙でよいです。(この票の参照用リンク)
今回は北村さんの感想で◎だった二作に投票することになった。どちらも人間の掘り下げ方があっさりしていて、好みのストライクゾーンからは外れるのだが、力みすぎずに自分の作品を書き、成功しているという好ましい印象を持った。
「あこがれ」はライトノベルとして完成度が高く、オリジナリティもあると思う。テーマと表現が過不足なく作品の雰囲気を構成していて、読んでいて快い。(この票の参照用リンク)
投票に参加させて戴いてから日の浅い私ですが、これって投稿が早いほうが有利だよなあ、と思っていた固定観念を吹き飛ばしてくれました。
末尾に位置しながら、ダントツです。
他の作品で「良いなあ」と思った作品は、「こういうオチにしてくれたらなおよかったのになあ」とか、「こんなふうに話をもっていくのはいかがなものか」とか、後知恵ですが、批評家然としてものをいえるのですが、この作品にはケチな批評は思いつきませんでした。(この票の参照用リンク)
きちんと閉じてしまったのはちょっと寂しいですが、
今回は程好く抑制されていて良かったと思います。(三浦)(この票の参照用リンク)
はい、わたしピッツァくいたいです。文章で見ると関西弁のリズムというのはものすごく良いですね。現実の会話ではあまりそんな風に感じませんが。(この票の参照用リンク)
最初に読んだ時はなんとなく、この語り手ならびに「兄貴」ってのはヤクザに違いないと思い込んでしまったのであるが、読み返してみたらそんなことは作中どこにも書いてないのであった。思い込みはよくない。しかしどうしてそんな風に読んでしまったのかと考えてみると、この関西風の語り口に加えて、「兄貴」が死んだのは抗争か何かのせいだと思ったらしい。それもちゃんと事故のせいだと作中仄めかされているのにである。
いずれにせよ私にとっては色々と空想を広げさせてくれた点で面白かった。(海)(この票の参照用リンク)
すごいなぁ。流れるように面白さを詰め込んできますね。(この票の参照用リンク)
いいなあ。「私は覚えていますよ」の効き目がすばらしいです。(この票の参照用リンク)
好みだ。とてもいい。(この票の参照用リンク)
主人公と、カーテンに包まれる女の子、双方とも直接的に性格を表現した文章はないにも関わらず、2人がどんな人間かありありと思い浮かべることができます。うまいなあ。(この票の参照用リンク)
別に女の子に人殺しをさせなくとも(前作)、窓辺のサボテンやらと会話をしなくとも(もっと前の作)、ごく普通の状況描写でこれくらいイメージを膨らませる話が書けるのだから、西直さんにはこういう路線でいってほしい。「それでは真実ではない! 今の女の子はときどき人を殺したくなるんだ!」
とおっしゃるなら、それを何か象徴的な “殺意”という形で(うまくたとえが浮かびませんが)作品に練り込んでほしいと個人的に思ってます。こんなにうまいんだから。
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< 車を降りて歩き出す。さようなら、メルセデス・ボルボの青い車。
道は一本道。どこまでも真っ直ぐ。どこまでも快晴。私は叫ぶ。誰かいないのかい。
誰か居ないのかい。誰か、いないのかい。>
「います、いまーす、私がここにいます」
と思わず作中の登場人物の一人となって飛び出したくなった。
普段は隠そう隠そうと無意識にしまいこんでいるつもりでいる自分自身の将来への不安だとか、焦りだとか、そういうのがるるるぶさんの文章の前でぱらぱら剥がされていって、素直になる。やられたなあ、と思う。ぜひ長編を!
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文章が流れている、と言えば良いんでしょうか。ちょうど人間の思考をそのまま取り出したような雰囲気を持っています。(この票の参照用リンク)
音をほぼ擬音語のみで表現していたり、パーン(音の位置)の移動を細かく表現していたりと、あまり文字でやらないようなことを実践していることに強い好感を持ちました。
作品自体も状況独特の奇妙な盛り上がりが出ていて面白かったです。(この票の参照用リンク)
種を噛むと芽が生えて来てしまうという発想が絶品です。
最後の二行とそれ以外との区別も上手いなあと思いました。
綺麗。(三浦)(この票の参照用リンク)