第237期予選時の投票状況です。8人より18票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
4 | 睡眠王 | テックスロー | 5 |
1 | 訃報 | 蘇泉 | 4 |
10 | ガベージ・コレクタ | Y.田中 崖 | 3 |
6 | 白雪姫のフィーバー | 朝飯抜太郎 | 2 |
11 | ここは時計の国 | たなかなつみ | 2 |
5 | 泡沫の如くに | 志菩龍彦 | 1 |
8 | パタニティブルー | わがまま娘 | 1 |
自分の睡眠が誰かに搾取されているという発想が面白い。
資本主義批判のようにも思える。(この票の参照用リンク)
まず起床時間が早くなる謎が面白い。睡魔のそれぞれの造形もすごい。違う世界にがっと、
視界が変わる展開もよい。最後の謎解きで彼の疑心暗鬼の意味も明かされてすっきり……
え? 誰が睡眠王? 疑心暗鬼…… 見事にすっかり最後まで楽しませられました。
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1回目でピンとこなかった通り魔のような睡魔が、2回目は想像しやすくて面白かった。ラストのショッキングな結末までの仕組みがわからなくて、もやもやしてしまった。
睡眠王はもともと「彼」だったが、何らかの手段(?)で、医師が「彼」(の半身?)を奴隷に落とし、「彼」自身が睡眠王である自分を殺し、医師が次代の睡眠王として成り代わった。というように思っています。
奴隷にベッドを担がれる睡眠王のイメージが鮮烈でよかった。
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「淫魔のような睡魔ではなく、〜通り魔のような睡魔だった。」がよかった。結末がややわかりにくく、睡眠王が結局どういう存在なのか読みとれなかった。黒幕は奴隷のふりをした医者でいいんですよね?(この票の参照用リンク)
睡魔の形を、淫魔と表現したり通り魔と表現したり、睡魔に襲われるイメージを、通り魔に襲われるイメージと重ねたりしていて、読者の想像を確実にコントロールしてくれる。
そして、魔物が仕える魔王の存在と魔物の目的、盗まれた睡眠の行方を提示してくれる。
王の寝台を支える半裸の奴隷たちのようなモチーフも、古代オリエントを思わせる景色でそこまでの作品とよく馴染むし、「打擲を受ける」の文語表現も古代文明の世界に自然に溶け込む。クライマックスである奴隷による王殺しが行われた時から、ここまでの親切さはある種失われ、読者の出番となる。
ナイフを振り下ろし睡眠王を殺したが、殺したのはその警報(目覚まし時計)によって起きた自分であり、勇者は現実では自殺者となっている。それでは睡眠王はうつ病患者の夢だったのだろうか?あるいは睡眠王の誅殺に失敗し、黒幕は最初から医師だったのだろうか?私はどちらとも違うと思っていて、睡眠王は確かに殺されたが、寝台にはそれまで奴隷であった医師が上り新たな睡眠王になった、そしてまたどこからか奴隷が補充されたと思っている。
睡眠不足、睡魔、夢に紛れ込んだ現実のモチーフが現実の意識を呼び起こして夢のルールに抗おうとすること、何者かに奪われる睡眠時間などがうまく表現されていると思った。王殺し以降の急転で、それまでエスコートされていた読者は放り出されてしまうから、そこを巧と見るか拙と見るかという問題はあると思う。私はバランス良しと思った。(この票の参照用リンク)
1回目は気にならなかったのに、再読すると、語尾や助詞等に多少リズムを阻害するところがある。でも、「情報社会だもんね。」とかは、子気味良くて好き。
最期の言葉が印象に残るけれど、それは、訃報を出してまで自分自身の評価?(残したもの)を確認したいという気持ちの地続きのものか、それよりももっと純粋な、少しだけせいこさんの気持ちを軽くするような、少しだけ世の中をよくするようなものなのか、後者であってほしいなと思う。
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一度はせいこさんに返事を書かないと決め、薬を飲んだ後に思い直して、やっぱり覚えていると伝えるように指示する。この揺らぎに人間らしさがあり、面白さになっていると思う。
郵送でしょうか。訃報を読んだ人が書く手紙の文面としては、「私のこと、まだ覚えているでしょうか」よりは、第三者宛の手紙にふさわしい質問の方が自然ではあると思います。「彼は私のこと、何か言っていましたか?」など。しかしこの林さん宛の質問の方が、林さんの最後の台詞はロマンチックになりますね。(この票の参照用リンク)
投稿作の中で、お話として特にまとまっていると感じました。
林さんの淡々とした態度が良いですね。
訃報を見た人の反応を見たいという感情は、自分を悲しんでくれる人がいますようにというある種の承認欲求のようにも思われますが、林さんの動機は単に興味にあったのでしょう。
だからこそ、せいこさんに会おうとしなかった。しかし、最終的に覚えてたことを伝えてと思い直したところには林さんの人間味が垣間見れます。
また、この林さんの去り方はより強い印象を彼女に残すでしょう。そういった勝手な部分に、過去の二人の関係性も感じられ、話の終り方としても味のあるものになっていると思います。(小山離反)(この票の参照用リンク)
今期は人生の幸福を、死を含む様々な形で再考する作品が集まりました。本作はその中で、一番読みやすかったように感じました。せいこさんがコメントを寄せてくれて林さんは幸せに最期を迎えられたようですね。…三年前に亡くなった奥さんのことを思い出してあげて欲しいようにも思いました。(この票の参照用リンク)
とても映像的で漫画チックで楽しい。掃除ボットがヴィクトリアンメイド型だったりする、
全体的なレトロ感も楽しい。C と D のキャラとしての 、名前のつけられ方も含めた、
造形や力関係、その後の残酷な場景からの元通りなども、絵的にとても楽しめました。
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マンガで読みたい。
擬人化したプログラムの世界観→ウィルス?の侵入→セキュリティプログラムの役割も兼ねていた、という転回がきっちり描かれていて、上手い。
たぶん、フェチズムのようなものがばっちりはまればこれだけでいいのだろうけど、もう少し何か欲しくなってしまった。
あと気になったお話。
#5 泡沫の如くに
最後の文がもっとぐっとこなければいけないのではないか。唐突に感じた。他者の価値観による「幸せ」を築いているが、自身に「幸せ」の定義がないことの不安。人間社会で生きるために擬態している自分の不確かさ、恐怖のようなものを勝手に受け取ったので、そういう不安は少なくとも「水死体」ではないのではないかと思った。
#7 雨あめふれふれ
実は雷様でした、という話なのだが、なんか真ん中くらいが分かりにくかった。捨て犬に傘をさしかける少女、さらにそれに傘をさしかける子供、という話の方が主軸なら、匂わせながら最後に語るのじゃなくて、実は雷様の話は最初にやってしまった方がスッキリするような気がした。
こういう突発的に見える善意の話は大好きです。
#9 放課後の神隠し
「キレイな景色が見える場所に行こう」というキラキラしたリア充感を感じる小学生10人が、既に現実よりも新しい人生に希望を感じている状況というのがわかる最後が最も怖いという。上手い。
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この作者の電子世界ネタ、好きです。『サイレントメビウス』でレビア=マーベリックが全感覚を電子化して電子世界に乗り込んだシーンを思い出しました。
『雨あめふれふれ』は雷様母子のやりとりが楽しげでした。こんなふうに実際にゲリラ豪雨を反省してくれると良いのですが…。次回作にも期待しています。
『放課後の神隠し』では、十人単位で子供がどんどん神隠しに遭う山の傍には住めないな、と思いました。子供たちも、親を乞うて泣く子も一部で、翌日には諦めてすっきりしてしまうのが、やや怖い世界を感じさせました。
『パタニティブルー』は中盤以降の独白部分が長くて読みづらく感じました。用語としてのパタニティブルーは、マタニティブルーと同様に産後鬱であり、出産前に産後の生活のせわしなさをいろいろ想定していくことで軽減できます。かつての恋人などに拘泥している余裕はありませんよー。
『睡眠王』は…眠りの質が悪くて日中頭がすっきりしないのは本当に恐ろしいことですね。普通は寝るのが遅くなり、朝が起きられなくなるものですが、逆もあるようで、また国内にいながら時差ボケのような症状に悩まされることもあるようです。「ジりりりり」の”り”が平仮名であることと、数字が全て漢数字表記なのも表現として興味深く感じました。
『私が総理大臣になったら』は、英語を含む世界の諸言語で敬語表現があることをご存じないようなのが残念です。外来語にカタカナを用いないのであれば、ローマ字ではなく、元の言語の表記を用いるのがよいでしょう。アルバイトはドイツ語で、キムチはハングルで、トムヤンクンはタイ文字で。外国にばかり目を向けて、身近な人々の生活の利便性を省みないのも残念ですね。(この票の参照用リンク)
お妃と鏡の情に視点をおいた白雪姫の語り直しですが、物語を前進させる語りの力が、
リズミカルでとてもよい。「お妃誅すべし」は昂ぶる。777 人の白雪姫が城を落とす、
動きのある展開も見事。しかも妃と鏡に視点を戻した情の結末。これはやられます。
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本来サブキャラ(キャラ?)である魔法の鏡をメインに仕立て上げ、逆に白雪姫がお妃に復讐するための手段になっている点が面白い。きっちりラストに感情の動きをもってきて綺麗に締めているのもうまい。繰り返される777と、コインかパチンコ玉よろしく溢れる白雪姫といった絵が出てきた段階で、タイトルのセンスがよすぎると思った。(この票の参照用リンク)
読みながら、昔懐かしい私たちのインターネツト()や、原爆を落としたアメリカの言い分、箱庭の幸せ、マジョリティとマイノリティなんかを連想した。閉じたものが開かれるとき、開かれる側は大抵それを望んではいない。ラストの反乱が、あくまでもマイノリティである彼らにとっての反乱であり、マジョリティにとっては抵抗にすらなり得ない、という残酷さがリアルだと思った。
こういう寓話的な物語を読むと、物語はそれを読んだ読者が考え、感じ、思い出すためのものなんだなと実感できて嬉しい。これは作者さんの押しつけがましくない語り、語りの距離感の取り方によるところが大きく、読んでいて安心する。(この票の参照用リンク)
世界観は好みだが物語世界を味わうより設定の説明を聞かされている印象が強く、作者が「こんなもんかな」と手加減しているように感じられたのが心残り。世界を創る力はあるのに自分が創り上げた物語の力を信じきれていないように感じてしまった。
今回は作品自体への投票というより、もっと羽目を外した作者の暴走に振り回されたい期待を込めての投票。もっともっと物語に取り込まれて物語に酔いたい。(この票の参照用リンク)
子供の同級生が自殺してしまったら、子供や自分、配偶者についてもいろいろ考えてしまうものですね。『Deus ex machinaな日々』というサイトで”自殺”で検索をかけると意外な情報がいろいろ見つかります。それはさておき、見てないテレビは消すべきで、おいしいハンバーグを作ってもらったのなら洗い物は担当するべきでしょう。「俺が洗い物をするよ」その声かけ一つで沈黙が一つ減らせます。(この票の参照用リンク)
誰でも、幸せになるために、もがき、選択しているはずなのに、なぜか幸せを感じられない人も多い。
幸せになるための地図を辿っていったからといって、本当に幸せになれるわけじゃない。
他人と比べて自分はどうかということも、幸せの基準になったりする。
幸せとは何かを考えるのは、本当に難しい。
そんなことを思った。(この票の参照用リンク)