第237期 #8

パタニティブルー

店から出ようとしたら、目の前をどこかで見たような気がする人が通り過ぎて行った。
誰だろう? と思って後姿を見る。
子供を抱えていて、隣にいる男性と笑いながら話をしていた。
そうか、結婚したのか。
唐突にそう思った。昔付き合っていた彼女だ。
彼女の隣にいるのが自分ではないことにいら立ちを感じたとか、そういうことではなくて、ただ、世間話のようにそう思っただけ。

付き合っていたのは二十歳ぐらいの時だ。
ボーっとベンチで座っていたら、声をかけてきたのは彼女の方だった。
なんで近づいてきたって言ってたっけ? なにかの調査だった? なんで別れたんだっけ?
好きって言ったのそっちじゃないか、みたいなことを言ったのは覚えているけど、理由は思い出せない。あの時は若かったし、今思えばくだらない理由だったんだろうな。
些細なことばっかりで言い争っていたような気がする。
度々言い争っていたら、そりゃ別れるよね。
同じ大学でも、同じ会社にいるわけでもなくて、全然会えなくて。
でも、ほら、若い時って、なんかこう、恋愛ってこんなんだ、みたいな固定概念っていうの? そんなのがあって。でもその理想とは全然違って。
結局そういうことだったのかな? お互いのこと、理解も尊重もできなくて、誰かが描いた恋愛像に踊らされていたのかもしれない。
もっと自分が大人の対応ができていたら、違う未来があったのだろうか?
いや、大人の対応ってなに? 妥協? つまり、諦めること?
今は、あの頃よりも諦めてんのかな? 何を?
諦めて生きているわけないよな。全部が諦めだったら、苦しいだけじゃん。
幸せになりたいと藻掻いて生きている中で、そのために切り捨てているものがあるだけだよね? 決して諦めではなくて、取捨選択しているんだよね?
これが普通だから、これが一般的だから、と言うレールに乗せられてただ走らされているんじゃないかという不安がよぎる。今の選択が間違っていたんじゃないかって。
かなり小さくなってしまった彼女達の背中をまだ眺めていた。

「出入り口でなに突っ立ってんの? 邪魔でしょ?」
会計を済ませて出てきた彼女に背中を押される。
振り返ったら、苦笑いを浮かべていた。
ふっくらしたお腹が歩きにくそうだな、って思う。
あと3か月もしないうちに産まれてくるらしい。
なんとなく思う。今は幸せ? って。
自分が? 彼女が?
小さくなって人混みにまぎれた彼女達の背中はもう見つけられなかった。



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