第210期予選時の投票状況です。8人より21票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
3 | 桂馬の憂鬱 | テックスロー | 5 |
6 | 道頓堀の喪失 | きえたたかはし | 4 |
8 | Rebellion | えぬじぃ | 4 |
1 | ダニー・カリフォルニア | 世論以明日文句 | 2 |
2 | 名探偵朝野十字:新之助のアイリーン | 朝野十字 | 2 |
5 | 何かになれると思ってた。 | さばかん。 | 2 |
4 | 私は詩が嫌いになった | 糸井翼 | 1 |
7 | 嫌み | わがまま娘 | 1 |
桂馬の性格が可愛い。将棋に限らず、駒を動かす系の遊びを、相手の分も合わせて、
自分がひとりで動かして遊ぶとき(人生ゲームや、駒ではないですがトランプとかでも)、
物語を作る癖があったことを思い出しました。洗練されるとこういう作品になるんですね。(この票の参照用リンク)
私はこの書き手のファンなので、ぼーっとしてると無意識に、半自動的に毎期投票してしまいそうになります。
だからいつも厳しめに採点するように心がけているのだけど、やっぱり面白いなあと思う。
冷静に考えて、駒を動かすのは指し手である人間以外ありえないのだから「香車と飛車の事故現場に仲間の制止を振り切って飛び出した」というのはおかしい。でも読み進めるうちに豊か過ぎる想像力や文章力に圧倒され、細かな矛盾などどーでもよくなってくる。そこがテックスローさんの魅了であり才能だと思う。(この票の参照用リンク)
一読してわかり、楽しみをくれる作品。
桂馬に桂馬らしさを感じた。(この票の参照用リンク)
『何かになれると思っていた。』は若者へのエールとして推したかったのですが、前半と後半がややちぐはぐに感じました。どう歩き始めたらいいのか判らないのが青春の苦悩ですね。『Rebellion』も気に入ったのですが、観念が整い過ぎ、上品過ぎてインパクトに欠けました。『桂馬の憂鬱』は、駒の擬人化は他で見かけたことがないわけではありませんが、交通事故と捉えたり、他人事が自分のことになって脅えたり、という様がよく描けているように感じました。…ちなみに、王手桂取りで王が逃げたり角に合駒をしたりしても、桂馬が取られるとは限らないので、その辺はご愛敬です。(この票の参照用リンク)
素晴らしい寓話。いったい何が教訓なのかはよくわかりませんが、読んだ後自分の人生と照らし合わせて考えさせられる。
駒として生きた果てに、死ぬ間際になって自分をしっかりと認識できるというところは切ないけど、いかにもそうだろうなという気もする。(この票の参照用リンク)
物語内の動きが大きくて、それだけで読んでいてすかっとした気分になりました。
馬と酒に酔ったり、大阪内を馬で配達したり、エピソードがコミカルなのも楽しい。
関西弁と関西人がうまくはまっていないようには思ったんですが、そこは勢いでいいのか。(この票の参照用リンク)
呆気ない感じなんですが、あれよあれよと物語が展開して楽しめました。(この票の参照用リンク)
今期で一番「創作」として優れている作品だと思いました。下品でナンセンスで意味不明で、でもだからこそ美しい物語だと思います。一言で言ってセンスの塊のような作品。でも助詞の間違いが散見されるのがやっぱり勿体ないなあ。(この票の参照用リンク)
勢いがすごい。文章が崩壊しないぎりぎりで繰り出される句読点の省略や脱字が馬やスーパーカブの疾走感にマッチしている。完璧な関西人は悲しみを見せたりしない。そして感謝の気持ちを忘れないのだ。(この票の参照用リンク)
人ってまさに「物語」の中で生きています。それによって生きていける人も確かにいて、この作品で描いているようにそれは救いだし、未来へつながるものだと思います。一方人が「物語」だ、所詮、人生は解釈なんだ、とされるのはちょっと怖いことです。私たち人間にはそもそも絶対的な意味なんてない、ということに気づかされる訳ですので。色々と考えさせられる作品でした。(この票の参照用リンク)
現実を「物語化」する「物語」と、作品として結実する「物語」とは異なるのか。
そもそも「物語」とは自然発生的なもので、そのふたつに分けることに無理があるのか。
どんな「物語」も現実と完全に分かたれはしないとか。「物語」論は難しくて楽しい。(この票の参照用リンク)
人を慰めるための物語は、心の拠り所になるという優しい物語でしたね。すとん、と胸に落ちる温かいお話でした。(この票の参照用リンク)
人や過去を解釈する行為はとても暴力的で残酷だと改めて思った。強盗に殺された女は自分の子供と三千四百人とを天秤にかけて幸せだと判断するのはなぜだろう。酒の男は百人以上の貧民の子に押しつぶされて酒を飲んで束の間頭がぼやけるあの感じを亡き者にしてしまうのだろうか。
膨大な数の未来は可能性、その分だけ物語がある。網の目のような未来と物語をかいくぐって生きていくことは果たしてできるのだろうか。(この票の参照用リンク)
迷ったすえ、今期は「ダニー・カリフォルニア」「桂馬の憂鬱」「道頓堀の消失」に投票することにしました。
210期全感想については掲示板に駄文を寄せましたので、お暇があればご覧ください。
「ダニー・カリフォルニア」
アメリカのロックバンド、Red Hot Chili Peppersの同名タイトル曲のオマージュ作品として読みました。
短編というよりは詩に近いと思いますが、私は好きです。カリフォルニアからナガノに舞台を移すだけでこんなに印象が変わるのですね。昔よく聴いていた曲だっただけに感慨深かったです。(この票の参照用リンク)
これはリリックだな。あまり小説らしくないなと思った。
でも何度も読むうちに、広がる風景の描写と匂いが、実に小説的だなと感じるように。
カリフォルニアと長野は全然違うようで、山脈もあればりんごもあるという共通点を示されてなるほどと納得。(この票の参照用リンク)
鮮やかですね。表現もそうですし、話の流れも。
さらさら読めました。(この票の参照用リンク)
前作を読んでいるから分かるところもあるので、この"短編"システムにおいてはやや卑怯なところもあるかもしれませんが、一場面を千字に纏め上げたのは見事に感じました。名探偵さんももうちょっとやりようはあるのでしょうけど、それは読者が分かっているからのこと。などと思えるのも、この作品の味わいですね。(この票の参照用リンク)
日々の暮らしで感じることをうまく言葉にしてくれた作品でした。自分で歩きだすって難しいですが、頑張らなくちゃと思わせてくれます。(この票の参照用リンク)
『Rebellion』と対極にあると思う。『Rebellion』に出てくる逆らう者も、結局は意味を求めてしまっている時点で、物語にからめとられてしまうのだけど、『何かになれると思ってた。』の主人公は、意味を考えるのをいったん辞めたところで物語が終わる。そこに開放感があって、良かった。
タイトルのリズム感も地味に好きです。(この票の参照用リンク)
主人公の一人語りがなぜか、すべて本音を言っていないごまかしのように聞こえる。
詩をSNSで全体公開している時点で見てほしいと思っていないなんて言葉は説得力ないし、闇があるとか不幸な感じがすると言われても内心喜んでいたんじゃないかと思う。
そして最後に、詩が嫌いになったと言える余裕ができるほど、詩のことを好きになったんじゃないかと思えた。(この票の参照用リンク)
観念的な話が多かった中で、物語の一場面を描きあげたこの作品は心に残りました。何がなんだか分からず、「もっと背景を詳しく読みたい」と思わせられてしまったのも、作者の力量に填められてしまったということでしょう。(この票の参照用リンク)