第209期決勝時の投票状況です。6票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
6 | 分からず屋、あらためまして | ゼス崩壊 | 3 |
4 | 二度漬け禁止 | テックスロー | 2 |
7 | ハッピーエンド | たなかなつみ | 1 |
「二度漬け禁止」が小説の技量としては最も優れていると思う。でも前半の濃厚な情景描写と後半のファンタジーのギャップがどうしても馴染めない。好きな人は好きそうというのはわかるが。
「ハッピーエンド」はまるで梗概のような、人物の匂いがまったく感じられない一人語りが好めなかった。
「分からず屋、あらためまして」に一票。文章も心地よいし、人情落語じみた落ちも心温まる。醜女の読み仮名が邪魔なところくらいが欠点か。(この票の参照用リンク)
分からずと目利きが入れ替わるとても面白い
醜女にフリガナをふるくらいなら醜い女でいい。(この票の参照用リンク)
決勝用に読み返してみましたが、やはりこの作品が、ありきたりかもしれませんが、好きでした。
『ハッピーエンド』は読んでいて苦しかったですね。もっと長い、背景をもっといろいろと詳細に構成した作品で読み直してみたいと思いました。(この票の参照用リンク)
個人的にはこれが一番です。短い字数ですごくちゃんとお話としてまとまっていて、話としても面白いと思いました。まさに完成している感じがしました。
「ハッピーエンド」も雰囲気は幻想的で好きでした。ただ、読んでいて、繰り返される運命みたいなものがあまりに苦しかったです。ハッピーエンドというタイトルの希望はないわけではないですけど、苦しい印象を強く感じ過ぎてしまいました。(この票の参照用リンク)
【二度漬け禁止】を選んだ理由
この作品はジェットコースターなんです。だけど入り口を高尾山山頂行きのケーブルカー乗り場にして客を騙している。そこが面白い。付け加えるものも足りないものない。
【分からず屋、あらためまして】を選ばなかった理由
1周目の感想。言葉の選び方や運び方が巧く、時代物の世界観に浸れる。が、何か引っかかる。
2~3周目の感想。「醜女だから年の離れた店主が突然手を重ねても問題ない」「手を重ねてから数日後、夫婦になっている」この辺りが、目利き店主が見出した掘り出し物の美に対する敬意がやや足りなく思われる。
4~6周目の感想。上記の違和感は、お加代も店主を憎からず思っていたと慮ることで解決可能。しかし今度は、お加代の美の見出し方が気になってくる。店主が見出したお加代の美は見た目の美しさである。この美はお加代を月夜に置いただけで店主が自ら気づくことができた。これが面白くない。お加代を醜女として雇ったことは、ものの佇まいの美醜の見極めを生業とする店主にとっては失態なので、店主の悔しさのようなものや、お加代の目利きの難しさのようなものが欲しい。例えば、店の品物の真贋を悉く看破する目利きの客が、お加代の美しさに店主より先に気づく。店主がお加代をものにしようとするがうまくいかない。そういう展開の方がするりと読める気がする。
10周目までの感想。もう少し長い作品を端正に縮尺した作品に見える。個人的に読みやすい端折り方になっておらず、どう読んでも何か心残りがある。
【ハッピーエンド】を選ばなかった理由
何度生まれ変わっても拒絶してくる相手を何としても手に入れる、という目的だけで十分なので、その相手が必ず「命を賭して自分の身代わりになる」はやややりすぎに感じる。「ステータス」というワードもゲーム色が強く、この短編の持ち味である普遍性を損なうかと。(この票の参照用リンク)
『分からず屋、あらためまして』は、真贋と美醜が並列に語られることが気にかかった。お加代は誰かの贋作なのかといえばそうではないし、そういう話なら現代の整形の是非の議論に絡めた物語のほうがフィットするのではと思った。お加代は最初から最後までお加代だ。作品最後の「安くて良い品ばかり揃っている」というのも一見お加代を掘り出し物として見出したことで店主の審美眼が変わったことを言っているように思えて、その実お加代にはそれ相応の価値を見出していないとも言っているようである。お買い得な品ではなく、値段はあくまで高く、しかし実用性があり玄人好みの骨董品を置くべきではないだろうか。とにかく、流れるような文章で、内容はするりと入り込むが、立ち止まって考えると不自然だと思った。
再読性、中毒性の高さで言えば『ハッピーエンド』が強い。よくよく読み返してみると本文中に唯一登場する「ステータス」という単語で、一気にゲームっぽくなってしまって、全体の温度が下がってしまった。ただ、これも作者の仕掛けなのかもしれないと再再読くらいで思うようになった。ハッピーエンドの対はバッドエンドで、この言葉は分岐の多いゲームなどでしばしば耳にする。数えきれないバッドエンドの試行ののちに、いつかハッピーエンドにたどりつくという、デジタルな解釈ができ、そう考えるとまどろっこしいくらいの熱い文章が違う意味を帯びてくるようだ。幾たびかの読書試行ののち、この作品には私なりの『ハッピーエンド』を見出すことができた。(この票の参照用リンク)