第210期 #8

Rebellion

 『未来』は髪をなびかせて歩む。その髪は限りなく長く、どこまでものびている。『未来』に過ぎ去られた者はおらず、誰であれ髪を掴んですがれるから。
 一人の女がその髪を掴んだ。
 夫をなくして独り身で苦労して幼い子を育てていたのに、強盗に襲われて子供もろとも殺された女だ。
 『未来』は振り返り、優しく微笑んで言葉を紡いだ。
「あなたの最後はとても気の毒でした。ですがその悲劇は皆の知るところになり、強盗に対する激しい怒りを呼び起こしました。あなたが住んでいた街はより厳しい法を定め、警備や見回りもはるかに厳重になりました。この影響はあなたの死後も長く続き、そのために命を落とさず済んだ人は三千四百人。これもすべてあなたのおかげです」
 それを聞いた女は微笑みながら消えていった。

 『未来』は髪をなびかせて歩む。その髪を一人の男が掴んだ。
 つまらぬ荷運びの仕事を長年続け、酒しか楽しみを知らぬまま病んで死んだ男だ。
 『未来』は振り返り、優しく微笑んで言葉を紡いだ。
「数十年の荷運びの中で、あなたが運ばなければ薬が間に合わずに亡くなった人は十五人。またあなたが格安で食料を運んだために栄養失調を免れた貧民の子が百人以上います。これもすべてあなたのおかげです」
 それを聞いた男は微笑みながら消えていった。

 『未来』は髪をなびかせて歩む。その前に立ちはだかる者がいた。
「あなたは誰ですか? なぜ『未来』に立ちはだかりますか?」
 そう『未来』が訊ねると、立ちはだかる者は冷たく言い放った。
「私は逆らう者。お前が『未来』だという嘘をあばきにきた。お前の正体は『物語』だ。人間として確かに存在し、感じ、考え、苦しんだ者たちを、ただの『物語』にする怪物だ」
「それは人間を幸せにしますよ」
 その優しい言葉に、立ちはだかる者は黒髪を振り乱して叫び返す。
「勝手に意味を与えるな! 意味もなく生まれ、意味もなく暮らし、意味もなく死なせてやってくれ! 物語を読み、物語を語ろうとも、人間は物語じゃない!」
 そう言われて少しだけ考える。でもすぐに微笑みながら口を開いた。
「素敵な言葉ですね。つまりあなたは、『わたしの物語』でしたか」
 立ちはだかる者は茫然とした顔を浮かべたが、すぐに消えてしまった。
 あとには一筋の黒髪だけが残る。それを拾い上げて優しく口づけながら、再び歩み始めた。
 訪れるすべての『未来』が、訪れたすべての『物語』と共に。



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