第210期 #3

桂馬の憂鬱

 桂馬は特殊な駒だった。前の駒を飛び越えられるという一風変わったその駒の動きが、という意味においてではなく、その特徴的な動きを自らが愛しすぎている、という意味で桂馬は特殊な駒だった。
 駒である以上桂馬は自身の出番が来れば命令に従って敵地に攻め入らなければならないが、桂馬は己を含めた駒たちが目的としてではなく手段として使われることにいつも我慢がならなかった。香車が飛車に取られた時は、「あれは不幸な出会い頭の事故だよ」「車格が違うからだろうな、お子さん、まだ小さいのに」「サイドエアバッグはちゃんと作動したのかしら、せめて楽に死んでいれば」と聞かれもしないのに香車の死をもとに物語を展開し、香車本人にしか知り得ないであろう心情を周りに語って聞かせた。さらにそれには飽き足らずリアリティを求めて香車と飛車の「事故現場」に仲間の制止を振り切って飛び出した。自分が一番スマートに見える角度で桂馬跳びをして事故現場に到着した桂馬はしかし、その凄惨な現場に絶句した。香車の死に対する甘いメランコリックな気持ちは吹き飛び、かといって引き返すこともできず立ちすくんでいるところで悪寒がして斜めを見ると、やぶにらみの角が自身と王との両方に狙いを定めていることに気付いた。

「王手桂取り」

 不釣り合いな言葉が頭に浮かんで桂馬は笑った。死を前にしてあまりにおちゃらけている自分と緊迫した戦場との不釣り合いさと、死の前で王と自分とが平等になっているというその不釣り合いさに笑った。そのくせ足が震えていた。万にひとつも自分が生かされないことはわかっているが、やはり怖いものは怖かった。
 指し手は長考しているらしかった。ただそれはすでに桂馬の死を勘案に入れたうえで、その何十手先を考えているということくらいは、将棋に明るくない桂馬にもさすがにわかった。桂馬には何の後ろ盾もなかった。ぴょんぴょん飛び跳ねていた分、周りに誰もいなくて、桂馬には殺される以外の手は考えられなかった。将棋のいいところは、静と動とが極端に離れている点だった。王を避難させるために指し手が右手を動かすまで、桂馬は永遠とも思える静の時間を過ごした。桂馬はモータルな存在としての自分を今までにないほど感じていた。しかし己の人生を飾り立てる適当な言葉が見つからないまま、後手番の角が己に向かって飛んでくるのに気の利いた台詞の一言も言えないでいるのだった。



Copyright © 2020 テックスロー / 編集: 短編