第210期 #2
聖母マリアのような唇が開き、白い歯の向こうに赤い舌が踊った。
「神様はいるわ。私は罰を受けた。許しを請いたい。でも誰に何を謝ればいいかわからないの」
「あなたは何一つ悪くありません」
事故で車椅子を使うようになった篠田さゆりは、それを試練だと受け止め、犯罪被害者救済活動に粉骨砕身してきた。先日、フランスで脊椎損傷の画期的治療法が発見されたとのニュースがあった。今、直ちに訪仏し、最新治療を受ければ治る可能性がある。なのになぜか彼女は私の前で逡巡してみせた。
「新之助君は優しいね。それは私が身障者だからかな。私が歩けるようになったら、あなたは私の車椅子を押す必要がなくなり、私のそばにいてくれる理由もなくなるね」
大きく見開かれた瞳はブラックホールのように黒く輝いていた。
「バカなことを。支援者の寄付金が治療代を上回りました。今すぐフランスに行って治療を受けてください」
実はさゆりさんはすでに航空券を手配し、これから羽田に向かうところだった。なぜ私を呼び止め話しかけているのだろう。
「プレゼントがあるの」
私は受け取った小箱を開けた。高級な腕時計が現れた。
その時、スマホが鳴った。
「新之助。篠田さゆりの居場所を知っているか」
「それは――。なにごとですか。説明してください」
「今すぐ来い」
「でも――」
さゆりさんが小首をかしげて私を見た。
私はスマホを切った。
「名探偵さんから?」
「ええ」
「私、もう行くわ」
「空港まで送ります」
「腕時計、つけてみて」
そうするとさゆりさんは満足そうにうなずいた。
「いいえ。あなたは名探偵の大事な助手。行ってあげて」
私はさゆりさんと別れ先輩の下に行った。先輩は警視庁の刑事たちと共にいた。
「羽田。成田。船。自家用ジェット。可能性はいくらもある」
ものものしい雰囲気に気圧されて、私は正直に答えた。
「篠田さゆりさんなら、フランスで治療を受けるため羽田に向かいました」
刑事たちが色めきだった。
「羽田に署員を送れ。逃すな!」
結局、警視庁はさゆりさんを見つけられなかった。
「羽田じゃなかった。あの女なら……。複数のロジを予約して状況に合わせて……。新之助、その腕時計はなんだ!」
先輩は私から無理やり腕時計を奪い取ると地面に叩きつけ、足で踏みつけた。
割れた腕時計の中から小さな黒い電子部品を取り出した。
先輩は私を睨みつけその何かを突き出し唸るように言った。
「盗聴器だ」