第167期予選時の投票状況です。4人より11票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
3 | 一週間後 | (Gene Yosh (吉田 仁)) | 2 |
9 | 風よ水よ人よ | qbc | 2 |
13 | 錯覚 | euReka | 2 |
1 | 仮視 | in | 1 |
2 | 雨に溺れる | たなかなつみ | 1 |
5 | ガム | わら | 1 |
6 | シャワーを借りる女 | 岩西 健治 | 1 |
11 | シンクロニシティ | 宇加谷 研一郎 | 1 |
たまに親戚の家を訪れると、すでに亡くなった祖父や曽祖父の話を聞かされたりして、微笑ましくなったり切なくなったりするのだけど、この作品は、そういう懐かしさを感じさせてくれる。作品の中に出てくる叔父は、飾り気のない人だったようだが、この作者の文章もまた、その飾り気のなさが魅力だと思う。(euReka)(この票の参照用リンク)
1000文字で、今まで全く知らなかった人の人物像を上手くわかった気持ちにさせられるもんだな、と感心しました。その叔父さんの姿までぼんやりと思い浮かべられる勢いです。
途中からですます調になるのなんでだ、と思って読み返すとそこから自分との関わりの話に移っていて、何か意図があるんだろうなあと思うけどわかりません。(この票の参照用リンク)
前半はよくある話というか、導入部になるわけだが、後半になって話のアクセルがぐっと踏み込まれていく。あるいは「風よ水よ人よ」と後輩の嫁が言ったところで、新しい世界が展開し始める。そして「一緒に言いましょう」「構わんよ」のところで、〈後輩の嫁〉と自分という微妙な男女の距離感を超えて、不思議な一体感が生まれる。だからどうなるというわけでもないだろうが、一瞬でも新しい世界(新しい「風」)を感じられるのは、人生の中で救いになるなと思った。(euReka)(この票の参照用リンク)
ナチュラルな感じがして、それでいて「俺」と「後輩の嫁」の少し危うい関係性も読み取れる。そこから世界が誕生するかのような「風よ水よ人よ」という言葉の響きが何気ない風景にアクセントを与えている。作者は「言葉」を単なる「会話」としてではなく「記号」として扱うことに長けている。
生命としてあるべき姿、その第一は子孫を残すこと。「俺」ではなく「後輩」はそれをやってのけた。しかし、子供は死んだ。「風よ水よ人よ」とは一種、鎮魂歌のようでもある。
文字として書かれていない部分に読者が何を読み取るのか、それが作者の意図することでなかったとしても、その1000文字から先の世界が表現されているかが良い小説の条件のひとつであると感じた。「風よ水よ人よ」実際にある銘柄を出したのは評価できる。(この票の参照用リンク)
冒頭から引き込まれた。
スムーズな離陸と、高度、着地が安定していること。三拍子揃っている。(この票の参照用リンク)
季節感、言葉遊び、などがバランス良く、1000文字プラスアルファを内包した小説である。
「夏の庭の出来事〜夏という季節が確かにあったことを思い出す。」という小説最後までの時間の流れの中に、作者の言っている時間というものが存在しているのであろうか。考える。
タイトル「錯覚」には違和感がある。思い違いではなく、幻ではなかったのではないのであろうか。それとも本当の錯覚なのであったのか。
今回も裏メッセージが隠れているのであろうか。素直に読み切れない。「黄色い服=防護服」「目のサンカク=防毒マスク」またはテニアン島、原爆搭載地点にある三角屋根の記念碑。
小説の中に流れる時間以上のものを表現したくて、作者は間接的にメッセージを入れ、それが、過去や未来もの時間を小説に内包させているのではないのか。(この票の参照用リンク)
ぱっと見で「あ、こういう縦に長いの苦手」と思ったところ、意外に中身は好きなタイプだったので、つい一票を。(この票の参照用リンク)
「家の内と外とを分ける扉」というのは、自分とそれ以外を分ける境界ということだろうか。その境界は、自分を守ったりアイデンティティを確立させたりするために必要なものだが、ときにその境界は理不尽な事態をもたらすこともある(最悪の場合は戦争とか)。どこまでが自分(愛でる)で、どこまでがそれ以外(駆除する)なのかというせめぎあいの運動は永遠に続いているが、大人のような存在は一定の答えを持つことで自分を保っている。しかし子どものような存在は一定の答えを持たないので、「なんでだ」という疑問を持つことができる。しかし子どものような存在もまた、自分という何かを見つけようとする以上、せめぎあう境界の運動からは逃れられない。溺れる虫のように。――というふうに読めた。(euReka)(この票の参照用リンク)
振り切れていて面白かったです。「あの人」って誰だとか、なが抜けてるとか、もうなんでもいい感じ。(この票の参照用リンク)
何も起こらないことの不気味さ。
反復と台詞の表記が効果的だと思った。どう書くかが小手先と感じられるか否かの境界は、結局のところ表現の必然性なのかなとか(例えば『ミヤマカラマツ.jpeg』は表現として新鮮で面白いがその表現を選択した根拠が薄い)。少なくともこの作品においては、目的と手段のバランスがいいように感じられた。(この票の参照用リンク)
偶然の一致を捉えた作品であるが、何かが起こりそうでいて起こらない、その卑猥さがたまらない。
評価とは少しずれるが、1000文字丁度で仕上げることに少し抵抗を感じている。1000文字は記号として美しいが、ある定まった形態に捕われ過ぎることには違和感を持つ。それでも1000文字プラスアルファを内包しているから票に繋がった。(この票の参照用リンク)