第167期 #6

シャワーを借りる女

「ドうぞ」
 僕がそう言うと女は「キャリるね」と言って玄関へ入った。女は足早にミュールを脱ぎ、ユニットバスへと急ぐ。僕は鍵を閉めながら女の脱いだミュールを見た。女が別段、揃えたようには見えなかったミュールのかかとはキチンと合わせて置かれてある。女の育ちの良さを僕は関心した。
「ドうぞ」
 僕が言うと女は「キャリるね」と言って紺色のスリッポンを脱いだ。相変わらずかかとは揃えられており、僕は自分のコンバースでもできるのかと、女がシャワーを使っている間に何度か脱ぎ履きを試みたが、女のようにかかとが奇麗に揃うことはなかった。
「ドうぞ」
 女はモカシンを脱いだ。かかとはいつも通り揃っている。僕はモカシンの右足を掴んでその匂いを嗅いだ。新品の靴独特の革の匂いは微かに残っている。モカシンを戻すとき僕は少しだけかかとをずらして置いた。冷蔵庫から取り出した缶ビールを片手で持ったままパソコンで「シャワーを借りる女」と検索するが、女に関するであろう項目はヒットされなかった。缶ビールを一気に飲み干し横になる。それから、手を頭のうしろで組み、両肘を顔の前で合わすよう腕に力を込める。最近、右肩が痛い。起き上がって「四十肩」を検索する。自然に治るとある。女はかかとのずれに気付くのであろうか。
「ドうぞ」
 履いていたモカシンを脱いだ女はユニットバスを使った。女はいつも三十分でユニットバスを出る。およそではなく、正確な三十分である。女は僕の前で髪を乾かす。僕の部屋にはドライヤーがない。だから、女はいつもタオルだけで髪を乾かしている。
「キャリるね」
 ミュールを脱いだ女はそう言ってシャワールームへと消えた。女の動作は普通に靴を脱ぐ動作のように見えたが、脱がれたミュールは正しくかかとが揃えられている。僕は安心して玄関の鍵を閉めた。シャワーを終えた女はTシャツとジーパン姿でタオルを頭にかぶったまま僕の前に座る。僕はドライヤーを持っていない。だから女はタオルでいつも髪を乾かしている。女は八時四十五分に部屋を出ていく。それはいつも同じ時刻である。
 女が部屋を出ていき、僕はシャワーを浴びる。シャワールームの中で随分と深呼吸を繰り返しても、女に関する残り香は微塵も感じとれない。
「ドうぞ」
 コンバースを脱いだ女はシャワールームへ。僕は鍵を閉めた。形の崩れた僕のコンバースとは対照の輝く女のコンバース。かかとは揃えられている。



Copyright © 2016 岩西 健治 / 編集: 短編