第167期 #2

雨に溺れる

 長いあいだ雨は降っていない。
 子どもがひとり立っている。汗を流して、帽子をかぶって、足を踏ん張って、立ち尽くしている。
 その手には先の欠けた水でいっぱいの如雨露。その足先には一列になって進軍している虫の一団。
 家の内に入ってきたら駆除しなければいけないもの。家の外にあるときは愛でなければいけないもの。
 なんでだ。
 子どもは如雨露の先を傾ける。水は大きな塊になって虫の軍団の上に落ちる。
 洪水を引き起こす。
 子どもの靴がべったりと濡れる。その足先には溺れる虫たち。
 子どもはその指先を水たまりのなかに入れる。泥をかき混ぜる。虫と一緒にかき混ぜる。
 その指をつたって逃れてくる虫たち。子どもは泥のなかから指先を引き抜く。目の位置にまで掲げ、腕をつたってくるのたうつ虫たちを眺める。
 愛でる。
 空から雨が降ってくる。子どもは天を見上げる。泥で汚れた靴と靴下。濡れそぼったシャツとズボン。
 家の内から子どもを呼ぶ声。子どもは振り向くが動かない。
 家の内と外とを分ける扉。
 子どもは帽子を投げ上げて駆けていく。虫はただ、溺れる。



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