第167期 #11

シンクロニシティ

 三郎が20代だったころ、暇があると妄想することがあってそれはOLを肩車して歩いている一匹の猿の姿だった。三郎はそこに卑猥さを感じていたわけではなくて、ただ猿と女の行進を頭のなかで眺めているのである。たとえばカフェにいって、一杯の珈琲をすすりながら、三郎はうっとりとした表情で頭のなかの世界を覗き込む。意味も心理学的考察も関係がなくて、ただ猿と女と三郎の世界がそこにはあった。

 いつから猿と女は消えたのだろう。三郎は自分でもそのことに答えがだせない。だがある期間をもって、三郎の脳裏には猿も女も消えてしまって、自分の人生時間を注ぎ込んでいた妄想世界そのものを三郎は思い出さなくなっていた。第三者がみたならば、三郎の精神病がなおったというかもしれないし、三郎はようやく若者から「大人」になったのだというかもしれない。

 ここに一人、アパレルに勤務する20代の女性がいる。名前は奈美といって、身長はそれほど高くないけれども8頭身で脚が長い。すらりとしているがグラマーでもある奈美が街を歩くと誰もが目を奪われてしまうとびっきりの美女である。その奈美にはひとつ秘密があって、それは奈美はいつも一匹の小猿を背負っているサラリーマンの姿を妄想してしまうのである。
 
 サラリーマンはハゲていて、容姿もけっしてかっこよくない。奈美は自分がどうしてこんなことを想像してしまうのか理解できない。けれど背中にいる小猿はなんだか安心感がある微笑みとうっとりした目つきをしていて、奈美はこの小猿に自分を投影してしまう。そうすると急にハゲたサラリーマンに親しみをかんじるのであった。

 或る日、三郎は都心のカフェへ行った。最近はカフェに行くこともない三郎である。大きな一枚板のテーブルに座った三郎はどうして今日はカフェなんかに来ちゃったんだろうなと苦笑していたのだが、目の前に座った美人に心底ドギマギしてしまった。美女は三郎よりはるかに年下で、ハゲている自分には高嶺の花にちがいなかったし、永遠に接点はない、あるはずがない、と三郎は思った。三郎はグイっと飲みほして席をたった。
 
 奈美は休憩のカフェで顧客へハガキを書いていたが、目をあげるといつも毎日妄想にでてくるハゲたサラリーマンがいた。奈美は心臓が凍りつきそうに緊張し、ハガキに意識を集中しつづけた。目をあげるとサラリーマンはいなくなっていた。奈美はしばらくの間、動けなかった。



Copyright © 2016 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編