第166期予選時の投票状況です。4人より10票を頂きました。
# | 題名 | 作者 | 得票数 |
---|---|---|---|
9 | 存続の条件 | たなかなつみ | 2 |
11 | 忖度な一杯 | 宇加谷 研一郎 | 2 |
1 | 煮る | わら | 1 |
2 | 画像の喪失 | 小松美佳子 | 1 |
3 | 半畳一間の礼拝堂 | 塩むすび | 1 |
6 | ババーキッチュ | テックスロー | 1 |
8 | 虎 | なゆら | 1 |
12 | 仕事 | euReka | 1 |
ここに描かれているような「複数あるライフ」なんて考えたこともないが、読んでいると不思議とそれを知っているような気分になる。単なる想像を描いたというよりも、意識の表層を掘り返してみたら、こんなものが出てきたというような説得力がある。ただし、小説というより詩に近いと思うが。(euReka)(この票の参照用リンク)
アンパンマンは死なない。と思い、辞書の断片のような文体があり、菌や細胞が増殖する様を想像する。ライフという言葉は独特の違和感をはらんでいる。私はライフという言葉を低評価とした。
わたしであり、わたしでないといったものには主体性がなく、その主体性のなさがここでは存続を助けている。存続できるものは強者ではなく、適応できものであり、地に足のつかない状態でふわふわと漂い続けられるものである。最初、高田純次かと思ったが、どうやら所ジョージが正解のようである。それを考えると高評価に値するのかもしれない。亡くなった永六輔も随分といい加減であったようだ。(この票の参照用リンク)
まずいコーヒーを、ただまずいで終わらせるのではなく、その中に物語を想像する――これこそが小説だなと思う。(euReka)(この票の参照用リンク)
ドブのような一杯のコーヒーに。(この票の参照用リンク)
『考えても詮ないことばかりが鍋の底から泡となって沸き上がる。
沸騰する鍋をしばし見つめる。ぼーっとするのは苦手なのだが、湯が目に見えて減る程度には放心していた』
この話は日記をちぎりまくって鍋で煮る人物の描写なわけだけども、最初のこの一文にはなにかものすごく共鳴するものがあってそれはなんだろうとしばらく考えてみた。
ひょっとして、作者はこの1000字小説を投稿するにあたり、『なにもかくことがない』状態だったのではないか? そして、なにもかくことがない自分をみつめていくうえで、心のなかに鍋がみえてきたのではないだろうか。
以下につづく詳細な描写には、なんというかこの一文がもつ熱源を絶やしてしまわないように必死に温度をあげていこうとする努力のようなものをかんじてしまう。小説としてどうこうというより、この話の設立過程に共感するし、なんというか、作為のない話である。
ジャズを聴いているような小説を読ませてもらった。(この票の参照用リンク)
症状は面白いというか、実際、画像を思い浮かべるとはどういった状態なのか。生きている人間の顔を見て、その人はその人だとの認識をして、その人が死んで一週間はその人の顔を思い浮かべる自信はあるが、一ヶ月先には自信はない。ましてや、一年ともなるとその人の顔を思い浮かべることなど不可能とさえ思えてくる。それでも人間は記録ではない、記憶という曖昧模糊な顔を作りだす。だから、遺影を見ることでその人の記録を維持しているのだとも言える。
全然別の経験で私は一度、肩こりを実感したことがあった。あぁこれが肩こりなのかと実感(私はそれまで肩がこったという経験がなかった)したが、それが、一般的な肩こりなのかを検証する手段は私にはなかった。
後半部分、男が登場してから少し先の展開が欲しかった。(この票の参照用リンク)
意味のなさはいい感じではあるが、そこから醸し出される面白みは感じられない。と思って次の日、読み返して兄の変態・異常っぷりが見えてきて、だからといってそれはスプリットやタトゥーでは解消できないことも分かった。この解釈が正しいのかどうか不安ではあるが。
それにしてもこの金は汚いのであろうか。そのことをラムネを飲みながら考えてみたが、どうも汚いという結論はでなかった。
遠くで蝉が鳴き、空中をふわりふわりステップするかのように、石を詰めた革袋を担がされるかのように訪れる意味のなさは極上である気さえしてきた。(この票の参照用リンク)
構成は荒いし、完成度も高いとは言えないけれど、いい小説になる可能性があるような気がするので一票。いくら歳をとって醜くなっても、若い頃のいい思い出があれば悲しくはないのかもしれないなと思った。(euReka)(この票の参照用リンク)
一つのシーンをひたすら描くことは難しい。
えろいな、と感じてしまったのはたぶん本能とか欲求とかいうものをまざまざと見せつけられたせい。(この票の参照用リンク)
『夢の中じゃなくてほんとうに会えたら、あなたの顔を10万年くらいじっくり眺めるつもり』
私にとって小説を読むということは結局のところストーリーそのものよりも、自分を鷲掴みにしてくれる一文があるかどうか、というところに集約されていくように思う。こういう意味でも読者というのは実にわがままで、求めてばかりの恋愛初心者のようなところがある。
『夢の中じゃなくてほんとうに会えたら、あなたの顔を10万年くらいじっくり眺めるつもり』
この一文が実にいいな、と思う。燃やし尽くす者とすべてを凍らせる者は決して出会うことはない、という状況設定がこの一文を、とても魅力的にひきたててくれる。(この票の参照用リンク)