第166期 #11

忖度な一杯

 吾郎は一年365日、どこかの飲食店でコーヒーを飲んでいる。

「仕事がある日は行ったことのない店を、休日は好きな店に再訪を」というルールを決めて、毎日その日訪れた店の名と感想を手帳に記していく。べつにルールに対して罰則があるわけではないけれども、自分の自由な時間こそ、ルールをつくって守っていくべきだと吾郎は考えているのである。
 
 吾郎のこんな趣味をはじめて聞いた人は、さぞかし吾郎にはコーヒーへのこだわりがあって、自分たちが飲んでいる缶コーヒーやインスタント、ファーストフードのコーヒーをバカにするのだろうなあ、と想像するらしいのだが、吾郎はインスタントコーヒーも飲むし、ハンバーガーショップで飲む100円のコーヒーも嫌いではない。

「僕は思うのだが、美味いものを美味いということは大事だけれどもそこに愛情は存在するのだろうか。僕はコーヒーが好きだ。だからこそどんな不味いコーヒーでもコーヒーがそこにある限り愛したい。そもそも味わうとは一方的な受け身でいいものだろうか」
 
 ある日吾郎が飲んだコーヒーは、普通の愛飲家が飲めば激怒するようなもので、自家焙煎なのだろうが、おそらくハンドピックしていないイエメンのモカをおそろしく焼きすぎたものにちがいなく、ドリップで淹れていたのだが途中電話の応対などしていて抽出に10分以上かかっていた。当然冷めていて、色はドス黒く濁っており、一口飲むとツーンとくる酸っぱさとエグみが口に広がって、それがいつまでも消えない。
 
 吾郎はそのコーヒーを飲みながらイエメンのスラム街にあるであろうドブを想像する。灼熱のアラブの太陽の下で、コーヒーの実を乾燥させる仕事をしているであろう若者がある日すべてが馬鹿らしくなってスラム街へ。想像はドブに横たわる彼の死で終る。暗澹。それもまた世界だ。
 
 ある日、深夜のファーストフードに入った吾郎を迎えたのは、目が醒めるほどの美貌の女性二人で、吾郎は呆気にとられてカウンター席で居然とする。手帳にかいたのは「虚朗玲瓏な一杯」。世界そのものがピカピカしてきれいで、無限の明るさのようなものをそのとき感じたのだった。

 さて今日吾郎が訪ねた店は、その道50年の珈琲専門店。どんな場所でも毅然とコーヒーと真正面から向き合う吾郎であるが、無駄な動作がひとつもなくきっちりネルで3分。できあがったコーヒーがそっと出される。吾郎は「忖度」と書き記した。



Copyright © 2016 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編