第166期 #3
痛みはまだ遠く、遥か後ろでさざめく予兆に過ぎなかった。
事のはじまりはこうだ。普段あまり連絡を取らない兄から電話があった。派遣先の職場にいる豆腐と変な草から煮出した茶を主食として暮らす女子が服用している薬について知りたいということだった。薬にあまり明るくない兄からの幾日かに渡る聞き取り調査の結果、それらの薬は抗うつ剤、胃薬、鎮痛剤、睡眠導入剤であることがわかった。その後しばらくして兄から割のいいバイトを紹介された。ある薬と決められた食事のメニューのみで過ごしたとき体に現れる変化を調べたいから協力して欲しいということだった。
今日がその最終日で、さきほど最後の薬を服用したところだ。今日は一錠多かった。覚悟はあった。
こんなことをするよりも舌先をスプリットしたり見えそで見えないところに怖め可愛めのタトゥーを彫ったほうが近道だとは思ったが家族にそんな人間がいてほしくないので黙っておいた。これが私なりの座敷牢というわけだ。
豆腐と変な草から煮出した茶で暮らす日々も今日で終わりと思うと感慨深い。あとは汚い金を神社にでも奉納しておしまいだ。
遠くでくすぶっていた痛みは地震のように現れた。手を組み、肘を膝の上に立てて備える。とてつもない痛みで顔の神経までひきつった。だがやつらはいっこうに降りてこない。これはなんの罰ですか。わたしに罪があるならお許しください。あわれみをください。
お前の罪は。そういいながら天狗が鼻から現れた。血の誓いの証を捨てようとは何事か、よもやそれを受け取れなど言語道断、腹がそんなに痛むならかっさばいて死ぬがよい。卑猥な鼻を額まで反り返らせて天狗はすげー怒ってた。
意識が戻り、無数の黒い塊が水に沈んでいることに気が付いた。ハートの形にまとめて可愛さをアップさせる。ウォシュレットで掃除し、紙は屑籠へ。扉のすぐ外では顔を上気させた兄が現金と箸を握り締めて待っていた。
汚い金は天狗の登場によって呪われてしまった。なので百均でラミネートフィルムを購入し高尾山を訪れた。パワースポット風のでっぱった岩の上でパウチ完了。喜べ、魔を祓う符は完成した。
参道では初夏の陽射しをブナがやさしく遮っていて、そのコントラストの中にラムネ売りの巫女の赤い服とそこから覗く汗の浮いた白い肌がきらきらとゆらめいていた。食事の縛りはもうないし、せっかくなので巫女からラムネを買って飲んで帰った。